先の日本女子オープンで、大会史上最年少&初のアマVという快挙をなしとげた。畑岡奈紗さんがプロ転向を表明した。17歳の高校生プロがここに誕生した。
大勢の報道陣を集めた10月10日の記者会見には、松山英樹と宮里藍が、お祝いと激励のビデオメッセージを寄せるなど、たいへん盛大なものとなったが、同席したお父さんの仁一さんが「僕はゴルフはまったくやらないので。まさかこんな日が来るとは毛頭思わず。感無量です」。
そんな仁一さんに代わってゴルフに関しては、まさに畑岡さんの“育ての親”といってもいい。やはりこの会見に立ちあった中嶋常幸にとってもこの瞬間は、まさにご両親以上に感慨深いものがあった。
畑岡さんは、茨城県笠間市の出身である。我々日本ゴルフツアー機構が推進してきた初心者用の道具「スナッグゴルフ」の“聖地”でもあり、2003年から2012年まで日本ゴルフツアー選手権の開催時期と合わせて宍戸ヒルズで行われたスナッグゴルフ全国大会の地元でもあり“強豪校”がひしめく。
畑岡さんは地元・笠間市立岩間第二小の部活でスナッグゴルフに出会い、その後ゴルフに転身した。
普段は「奈紗」と呼んで可愛がってきた。「でも今日から“畑岡プロ”と呼ばなくてはいけないね」と、このたびのプロ転向に際して最大の祝辞を贈った中嶋は、一人の恩人を思わずにいられなかった。
宍戸ヒルズを運営する森ビル株式会社の支援を受けて、中嶋がジュニア育成の「トミーアカデミー」を起ち上げたのは2012年だ。同社の森稔・前社長の「ここから世界で活躍するプロを」との夢を、中嶋が請け負った。その一期生として入塾してきたのが畑岡さんだった。
球を操る力、身体能力の高さは言うまでもなく「人の目をまっすぐ見て真剣に話が聞ける子」。
中嶋の、畑岡さんの第一印象だ。
合宿後に子どもたちに必ず提出させるレポートも素晴らしかった。「僕の話をしっかりと租借して、自分のモノにしていた。賢い子だと思った」と、振り返る。
「そういう子は必ず成長する。乾いたスポンジに、水が染みこむように上達していった」。中嶋の見込み通りに、この晴れの日を迎えた。
「ここにいるみなさまのおかげで今日という日を迎えました。今日からプロゴルファーとして活躍させていただきます。畑岡奈紗です」。おびただしいフラッシュを浴びて、ハニカミながら宣言した。
ご両親と一緒に、娘を旅立たせる思いで見守った中嶋。
アカデミーでの合宿中、試合形式での練習でプレーオフに突入した畑岡さんを、大声で応援しておられた森・前社長のキラキラ輝く目が中嶋には今も忘れられない。
「森さんが生きておられたら、誰よりも喜んで下さったと思う」。
今は亡き人の恩を、忘れてはならない。
「森さんがおられなければ、今の奈紗はなかったかもしれない」。
そしてこれまで17年の恩を、忘れてはならない。
日本女子オープンで、母親の博美さんはキャディとして我が子を支えた。
「最終ホールで返しのパットを打つ前に、お母さんがボソボソっと何か言われたのを見ていてこれは本当に、親子で掴んだ勝利なのだと」。
中嶋が親心を出すまでもなく、高い志と謙虚さを合わせ持つ畑岡さんは「いつも笑顔でプレーされていて、普段から回りの方々への気遣いが出来る。宮里藍さんのようなプロになるのが目標です」。
「どこへ行っても誰にも好かれる。奈紗なら、そういうプロになれる」。中嶋もそう信じている。そして本当の厳しさは、ここから。「まだ道なかば。これからメジャーで活躍出来る選手になれ」。宍戸から、世界へ羽ばたけ奈紗!