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ミュゼプラチナムオープンゴルフトーナメント 2015

初代チャンピオンは金庚泰 (キムキョンテ)

鬼の完全復活だ。初代チャンピオンに輝いたのは庚泰 (キョンテ)。今年早くも2度目のスピーチも、また流ちょうな日本語で、真っ先にこの新規開催の主催者へのお礼の言葉を忘れず、「大会を開いてくださった髙橋社長に、心からお礼を言います」。

今年誕生したばかりの「ミュゼプラチナムオープン」は、エステ・脱毛大手の名を冠して、初回のテーマは「美しき男たちの戦い」。
「それにふさわしい選手が、チャンピオンに輝きました」との髙橋仁・代表取締役のお褒めの言葉に小さく「へへっ」と、いつもの照れ笑い。まだツアーは中盤に差し掛かったばかりというのに、今季2勝目一番乗りにも、「今日は、まさか僕が勝てるとは」。

4打差で出た大混戦の最終日は、本当に勝つ気はなかった。前半は6番のバーディひとつしか獲れずに「今日は俺じゃないな」と、この時点で目標は「3位狙い」とまだ控えめだった。
しかし、13番で見上げたリーダーボード。4人タイの首位に立って「チャンスあるな、と。そこから集中したら、パットが入っちゃって」となぜか恐縮しきりで、15番では3メートルのチャンスをねじ込むと、決定打は次の連続バーディだった。

16番のパー4は、いつもはスプーンで打つところを、フォローの風を読んで得意の3番アイアンで、自信を持って打った。「けっこう振ったから。けっこう行った」とピンまで135ヤードは、ピッチングで打てたのも良かった。「9Iなら止まらなかったかもしれない」。7メートルのバーディで、最終組のひとつ前の組でいち早く通算20アンダーにして、「あともう1コは欲しかった」。

庚泰 (キムキョンテ)がにらんだ優勝スコアは、22アンダー。だから17番で、3メートルのチャンスを逃したのは痛かった。「20で、良くてプレーオフ。僕は足りなかったと思ったんです」。しおらしく言いながら、静かに牙を研いでいた。
第1回大会の初日は先輩のJ・B・パクが63を出して華々しく幕を開け、2日目には後輩の趙珉珪 (チョミンギュ)がなんと60をマークした。また2日目にはヘンドリーが史上34人目のアルバトロスで記念大会に花を添え、仲間のお祭りムードに隠れて、鬼は好機を待っていた。

6月のシンハコーポレーションタイランドオープンに次ぐ今季2勝目には、完全復活の匂いがする。4年前に海外進出を視野に飛距離を求めて踏み切ったスイングの全面改造は「失敗」に終わった。「やっぱりスイングは、大きく変えちゃダメだ」と、気づいたときにはすでに遅くて、そこからまた修復するのに3年かかった。

その間に、「優勝するという気持ちを忘れてしまった」。今季は開幕から手応えを感じてはいても、「とにかくまずは1勝を」と謙虚な目標も、一度思い出したら早かった。ひと月も空けないで、また勝った。むしろますます強くなって帰ってきた。日本では婚姻届けのたぐいのものを、韓国でも役所に提出するそうだが、「今までは、父と母の下に僕の名前があったけど。今は奥さんと、子どもの上に僕の名前をサインした。俺が頑張らなくてはいけないと思った」と今年、新婚ホヤホヤは4月に可愛い男の赤ちゃんも授かって、メロメロのキョンテパパ。

たった3週間会えないだけでも、「早く家に帰りたい」と、今週はそればかり。「僕は悪いプレーをしたときも、あまり表に出さないので」。ストレスが溜まり、独身時代は翌朝まで引きずることもしょっちゅうだった。「でも今は、帰ってから子どもの顔を見ながら電話をすると、すぐに忘れてしまえる」。それでもそろそろテレビ電話の対面だけでは、物足りなくなっていた。

この日12日は、生まれてちょうど100日目のめでたい記念日。日本では食い初めの儀式だが、韓国でもそんな祝いの席があるそうで、「来週は、久しぶりに家に帰ってみんなで食事をしようと思っていたので」。優勝賞金2000万円を持って帰れば夫が留守の間も育児に奮闘する奥さまも、きっと笑顔で迎えてくれる。

これで賞金ランキングも1位に浮上。2010年に、韓国人として初の賞金王に輝いてからちょうど5年。常勝期のアマチュア時代は、母国で「鬼の強さ」と恐れられた。勝ち方を思い出した鬼が、早々に今季2勝目をあげれば、この先いったいどうなることやら。

  • 悔しさをこらえて祝福に駆けつけてくれた「JB(先輩)先輩、ありがとうございます!」
  • 髙橋社長! ありがとうございます〜!!

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