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21歳のベテラン?! 稲森佑貴(いなもりゆうき)が4年目の宮崎で

21歳は年々着実に、見聞を広めている。まずは海外2連戦。極寒の日本から飛び出した1月の「SMBCシンガポールオープン」は、初日のスタート直前に欠場を申し出た今平周吾の気持ちがよく分かる。「僕も棄権寸前でした」。
寒いところから、いきなり湿気ムンムンの国に来て、「日本で固まっていた身体がいきなりぐりん、ぐりんと動きすぎて」。稲森も、次第に腰に違和感を感じはじめて「やばいな、と」。おまけに、大会は初日から4日連続のサスペンデッドに、うだる暑さも加わって、稲森にとっても過酷な1週間。

第1ラウンドは、4位タイで飛び出しても、「ショットは抑えめにして、慎重に」。次第に順位は下げたが、それでも何とか最後まで戦い抜いた。大会指定ホテルの「シャングリラ・ラサ・セントーサ」は、普段はキャンピングカーで転戦を続ける稲森にとっては、「間違いなく史上最高クラス」と、けっしてお安くない宿代も、決勝進出で途中でプレーを止めることもなく、かろうじて穴埋めも出来た。

さらに翌週の2月第一週は、政権交代が決まったばかりの国。「レオパレス21ミャンマーオープン」では残念ながら、2週連続の予選通過はならなかったが、空いてしまった週末は異国の街に出て、社会勉強。

土曜日には、ホテル近くのパゴダ(ミャンマー語で仏教寺院)を散策した。神々しく光り輝く尖塔に口をあんぐりしていると、通りがかりのおじさんに声をかけられた。
「おまえの生まれ曜日を調べてやる」という。曜日を調べて、該当する仏様にお詣りすると、より御利益があるという。おじさんの言われるがままついていき、お賽銭を入れて、手を合わせるなり、いきなりガイド料を要求された。

こちらから頼んだのではないのにとマゴついていると、しつこく食い下がってきた。
「面倒なことになるといやなので、1万チャット払った」という。日本円にして約1000円。おじさんは「本当は、7という数字が縁起がいいんだ」と、含みを持たせた言い方は、どうやらまだ足りないということらしかったが「振り切って、逃げてきました」。
後から稲森が、ミャンマー通に聞いたところによると、国民たちが政権交代を謳歌している現象のひとつでもあるそうで、ちょっぴり肝を冷やしたことも今となっては貴重な経験。
「今回、初めての海外試合でしたが、チャンスがあれば何度でも挑戦したい!」。

そして今週は、ところ変わって稲森には早4度目の宮崎だ。まだ若いが、JGTO主催の宮崎合宿においては、もはや常連。16日の夜の講義では、やはりこちらも“常連講師”。今年も4年連続で“教鞭”をとられた元NHKアナウンサーで、スポーツジャーナリストの島村俊治氏から光栄にも、「稲森さん」と名指しされたほど。

16歳でプロ転向を果たし、この「JGTOゴルフ強化セミナーin宮崎フェニックス・シーガイア・リゾート」がスタートした2013年には稲森はまだ、地元鹿児島県・城西高校の3年生だった。その翌年2014年には、いわゆる第二枠での初シード入りを実現させた。

昨年は、さらに優勝争いの回数を増やして賞金ランキングは29位に。限られた選手にしか権利がないシーズン最終戦「ゴルフ日本シリーズJTカップ」にも初出場を果たして、まさにこの合宿を踏み台にして、年々飛躍を続ける若手の一人である。

今週は、前日16日に特別講師をつとめたレジェンドとは偶然にも、身体のタイプが同じで自分とまったく重なる部分を多く見つけた。新井規矩雄氏もまた「身体の軸を中心に回転で打つタイプ。ショットに共通点がたくさんあって、とても参考になった」と、勝手知ったる4度目の宮崎でもまた、得るものがたくさんあった。

「稲森さんも、この合宿は初回からの参加ですが、毎年こうして新しいことを学ぶ姿勢を取っておられることに、私は敬意を表します」とは、先の島村氏の弁。また「こうして学ぶ機会が持てるということは、本当に幸せなことですね」とも。
今年もこの恩恵を、無駄にはしない。
「今年は優勝を目指すつもりです」と、4年目の宮崎で改めて誓った稲森。講師のみなさんも嬉しい報告を、首を長くして待っている。
  • ベテランジャーナリストの島村氏にも、稲森の名前を覚えていただいて・・・

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