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僕らのツアー選手権 / 塚田陽亮の選手権
日本タイトルでの初美酒は2016年。大会主催をつとめるJGTOの新会長に、青木功が初就任した年でもある。
世界のアオキの名にかけて、「世界基準のセッティングを作る」と、心血を注いだその年の宍戸の難しさは、群を抜いた。
トータルアンダーパーを記録したのは、わずかに2人。
塚田が最終日にマークした「66」は、文句なしのベストスコアだった。
「一瞬たりとも油断できないコースで最後まで集中してゴルフができた」と、最終組の4つ前から通算2アンダーで上ってきた塚田には、ただただ達成感だけがあった。
「我慢できなかった」と、後ろの最終組のプレーを見るより先にトイレに駆け込み、用を足して戻ってきたら勝っていた。
スタートの1番で、大ピンチからのチップインバーディを合図に死闘を始めた。
中3で単身渡米し、4年と半過ごした米フロリダの名門「IMGアカデミー」で体力とパワーをつけて戻ると、08年のプロ転向から9年目に演じた大逆転劇。
弁が立ち、ここぞの盛り上げ役には必ず引っ張り出される。
周囲を驚かせたり、楽しませるのが大好きで、頼まれれば道化も演じる。
表彰式でも「涙が4粒くらい出ました」と、ひょうひょうとしていた。
ぽっちゃりまん丸お腹に、幼なじみで同期の池田勇太は昔から、塚田のことを「クマ」と呼ぶ。
その2年前から「選手権」は全英オープンの出場権をかけた日本予選シリーズに組み込まれ、その年は池田に次ぐ2番手の権利者として初のメジャー舞台も経験するなど、激動の1年となった。
塚田陽亮にとって「ツアー選手権」とは??
「初めて両親に恩返しできた日です」。
2016年の6月5日はクマさんが、人生最大の親孝行を達成した日。
2度目の恩返しもお早めに!