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岩田寛の震災10年
コースからは見慣れた故郷の海と、飛行機が行きかう滑走路が見下ろせる。
「ここに立つといつも当時の思いとか、あの時みた光景とかを思い出します」。
ときどき練習の手をとめて、思いにふける。
10年目も変わらぬ岩田寛の3.11の過ごし方だ。
あの日、沖縄合宿から帰路についた岩田はあの時、着陸寸前の機中にいたが、仙台上空で飛行機はきゅうきょ旋回。大地震の被害を避けて、そのまま出発地の那覇空港に帰還したから、大地震の恐怖そのものは、経験していない。
今年の2月13日に起きた震度6強の地震は、あの日の余震だったという。
この日も、たまたま岩田は仙台にはいなかったが「知り合いの方は、10年前がよぎったと。また思い出して怖かった、と」。
10年前のあの直後も人々から聞く震災体験と、変わり果てた故郷の風景とが重なり岩田もしばらくは、虚無感におそわれたりしたが、「これからも忘れちゃいけないことと、前に進まなくちゃいけないことがあると思うので」。
そう言えるようになったことが、あれから10年を経た気持ちの大きな変化といえるかもしれない。
その間にツアーで2勝を飾り、2016年には米ツアーにも挑戦したが「優勝はもう、6年もできていないので」。
コロナ禍で行われた昨年の貴重な6試合の中でも、2020最終戦の「ゴルフ日本シリーズJTカップ」は最終ホールのボギーで、3勝目を逃した。
「去年は最後に悔しい思いをしましたので。今年は1勝したい。最初の2勝は、勝った瞬間すぐに喜びが来なかったので」。
2014年の初優勝も、16年の2勝時も、ようやく実感が沸いたのは、周囲の喜びと反響の大きさを知ってからだった。
「僕にも活躍を喜んでくれる人たちがいてくれる。今度は、勝った瞬間から喜ぶ自分を、自分でも見てみたいんです」と、故郷の海を見下ろすコースで10年目のこの日もいつもと変わらぬ試行錯誤を黙々と続ける。
震災後に定めた将来の目標は、地元仙台にゴルフ場を購入し、そこでジュニア育成に尽力すること。
だが、実現にはまだまだ遠く、「自分は無力」と感じることもしばしばだ。
「何かしていけたら…とは思っているんですけど。口で言うのは簡単ですね」。
ちょっぴり、自分を責める口調になったが、10年目の今も変わらぬ目標はきっと、今より一歩でも前に進むためのチカラになるはずだ。
10年目の今年も、この日この時間がやってきた。
午後2時46分に合わせて練習の手を止める。
遠くで、時刻を告げるサイレンが鳴った。
岩田は、今年も海に向かって静かに目を閉じた。
※ヤフージャパンの「3.11震災10年特集」では選手会長の時松隆光と同副会長の石川遼が寄稿しています。こちらもぜひご覧ください。