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クラウンズのない黄金週間が始まる
第1回大会は、ツアー制度が施行された1973年をさらにさかのぼる。
1960年に「中部日本招待全日本アマ・プロゴルフ選手権」として誕生。
当時は、1日36ホールの2日間競技で賞金総額は170万円、優勝賞金50万円だった。
その3年前に、霞ヶ関カンツリー倶楽部(埼玉)で行われたワールドカップ(当時カナダカップ)で中村寅吉氏と小野光一氏のペアが優勝。これを契機に、沸き起こった第一次ゴルフブームにも乗って、大会の歴史は開かれた。
初回は、ワールドカップで共に日本に勝利をもたらした小野氏との大激戦を制して、中村氏が初代覇者に。その様子は全国中継されて、ますます人気は過熱。
以来、現存する中ではもっとも古いスポンサートーナメントとして、プロゴルフ界をけん引。
数えきれない感動ドラマを紡いできた。
昨年まで60回の歴史の中で、もっとも勝ち星を重ねたのが、青木功とジャンボ尾崎だ。青木の初制覇は1973年、30歳だった。その後、わずか8年の間に3連覇を含む5勝を重ねた。
尾崎は1971年の初出場から17年を要して自身40歳の1987年に、ようやく”初王冠”を掴むと、50歳の97年にはやはり3連覇による大会5勝目を飾り、青木の偉業に並んだ。
当時の世界ビッグスリーと称されたゲーリー・プレーヤー(南ア)とアーノルド・パーマー(米)、ジャック・ニクラウス(米)の3人共が出場した日本で唯一の大会としても知られる。
若き日のロリー・マキロイ(北アイルランド)も08年に出場。
世界の強豪も続々と、和合に集ったメジャーチャンピオンは48人。
自身6度目の挑戦で、1989年大会を制したグレッグ・ノーマン(豪)。
91年は、セベ・バレステロス(スペイン)が自身2度目の出場で大会初Vを飾った。
リオ五輪で金のジャスティン・ローズ(英)が21歳で和合を制したのは、02年の43回大会。
2010年にローズの最年少V記録を塗り替えたのが、当時18歳の石川遼だった。
最終日には、世界記録「58」という奇跡も起こした。
また同年には、1964年の覇者でもある杉原輝雄氏(故人、当時72歳)が初回から51回目の出場を果たして、マスターズで50回続けたパーマーを抜いて、同一大会連続出場の世界記録を更新。
お祝いムードに沸いた年でもあった。
一気に世代交代が進む中にあっても、大会をあげてゴルフ界の一時代を支え続けたレジェンドを讃え、敬う心意気は脈々と歴史を紡いできた伝統の一戦ならでは。
「中日クラウンズ」と名称が改められたのは、1966年の第7回からだ。
同時に、開催コースも今の「名古屋ゴルフ倶楽部 和合コース」に定まった。
今なお難攻不落と呼ばれ、真の実力者しか勝てない。
否、たとえ真の実力者であっても勝てない大会のひとつとして継承され続ける。
改元が行われた昨年は、令和最初の男子ゴルフとして沸いた。
宮本勝昌が、感動のツアー通算12勝目で優勝賞金2400万円を受け取った(現在総額1億2000万円)。
今年の61回大会は、4月30日に初日を迎えるはずだった。
クラウンズのない大型連休が、大会の重みをいっそう際立たせる。