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「忘れたことはない」 岩田寛の3.11
その2日前に、ニュージーランドとマレーシアでの海外連戦から戻ったばかりの岩田寛は、宮城県仙台市の自宅でその時を迎えた。
昨年のこの日、この時刻は空港近くの仙台カントリー倶楽部で練習の手を止め、見下ろす名取の海に向かって静かに黙とうをささげた。
午後2時46分。
今年は時間に合わせてテレビをつけた。リビングの椅子に腰かけ、震災関連の特集番組を見ながら思いを巡らせた。
「『もう9年経ったんだな』とか。『でも、福島(の復興)はまだまだだな』とか…。今日もいろんなことを考えた」。
9年前のあの日。あの時、岩田はたまたま沖縄合宿から帰る機中にいた。
着陸寸前の搭乗機はきゅきょ上空で旋回し、再び那覇空港へ。
仙台空港に停めていた岩田の愛車は津波にのまれたが、あの未曽有の恐怖そのものは、味わっていない。
それでも、直後はたとえようのない喪失感と無力感に襲われしばらくは、何をする気力も失った。
あの時、何度も繰り返し流れた津波の映像。
やっと自宅に戻れた際に見た、変わり果てた町の姿。
最愛の家族を奪われた友人。
想像を絶する人々の悲しみ…。
大事なことほど慎重に言葉を選ぼうとして、口ごもる。
「あの時みた光景も、気持ちも。忘れたことはないので…」。
なんとか紡いだ短い言葉に今の思いを集約させた。
つまり、”今日”という日だから思い出すのではない。
「3.11」は、常に岩田の心にある。
故郷への思いを背に「フジサンケイクラシック」で、ツアー初優勝を飾ったのは、震災から3年後の2014年だった。
悲願達成のための涙は一滴も流さなかったのに、「今もあの時を思うと泣きそうになります」とV会見でこぼした。
5年目を迎えた2016年のその日は、その年、主戦場とした米ツアーの会場で迎えた。
日本ツアーでは、人々に与える印象やゴルフの伝統、格式を重んじる観点から着用できない迷彩柄のウェアをあえて選んで当日のプレーに臨んだのは、あの時、東北のために身を粉にしてくれた自衛隊のみなさんへの感謝と敬意を示したかったからだった。
9年目の今年は、政府主催の追悼式典が中止となった。
2日前の9日月曜日に遠征先のマレーシアから帰国した岩田にも、がらんとした空港や市内の町の様子から、新型ウィルスの脅威と混乱が改めて、感じ取れた。
「これからどうなっちゃうんだろう…」。
先行きの見えない新たな不安が日本中に渦巻く中で、自分は自分のできることを続けていくしかない。
震災から4年目の2015年に打ち明けた将来の夢は、地元仙台にゴルフ場を購入して、そこでジュニア育成に尽力すること。
来年は震災から10年を迎えるが、10年経っても、20年経ってもきっと何度でも岩田は言う。
「あの日を、忘れたことはない」。
忘れられるはずがない。
午後3時を回った。
震災関連の特集番組はまだ続いていたが、岩田はリビングの椅子から静かに立ち上がり、近くの練習場「アコーディアガーデン」に向かった。「これから、開幕まで地元で調整です」。
9年目のこの日は、暗くなるまで黙々と球を打った。