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僕らのツアー選手権 / 髙橋竜彦の選手権

JGTO初代会長の島田幸作氏が2000年に起ち上げた「日本ゴルフツアー選手権」は、当時のパソコン機器メーカー「イーヤマ」の支援を受けて、栃木県のホウライカントリークラブで初回を迎え、第4回から現在の開催コースの宍戸ヒルズカントリークラブ(茨城県)に舞台を移した。

森ビルの特別協賛を授かり昨年まで20回を重ねる中で、金融大手2社のサポートも受けた。

その初回は06年。「UBS」を迎えて「UBS日本ゴルフツアー選手権宍戸ヒルズ」として開催。最初の年を、自身のツアー2勝目で飾ったのが髙橋竜彦だった。

世界有数の金融機関がタイトルスポンサーについたことで、海外からの注目も増した
表彰式終了後は海外のテレビ局にも勝者のインタビューを受けた。

当時のCEOに「UBSグループは、あなたがチャンピオンであることを、誇りに思う」との賛辞に喜びが増した。
最終日は永久シードの中嶋常幸との直接対決で、圧勝したことにも当時の嬉しさが、ぶり返す。

当時から、髙橋にとって「選手権」は「ツアープレーヤーとして、譲れないタイトル」だった。賭ける思いが強いほどに、緊張は高まり当朝は「これで球が打てるのかというほどでした」。
だが、それは1番ティでトーナメントリーダーとして選手紹介を受けた瞬間に、切り替わる。
「俺はこれを味わうためにツアー選手をやっている」。ゴルフで痺れるほどの感動を味わえる。「俺って、幸せだ」と思ったその瞬間、高いモチベーションに転じた。

その週、好調のショットは、最終日もフェアウェイを外したのは1ホールだけ。2位と4打差をつけて入った最終ホールで、再びティショットがフェアウェイを捕らえた瞬間、中嶋から「おめでとう」の声がかかった。

「『選手権』で勝つことがずっと夢でした。特に中嶋さんと争って勝てたことは、今でも誇り、そしてゴルフ人生の証です。自分は幸運でした」。

宍戸という難コースを克服したことも、その思いを加速する。
「戦略性に富んでいて、毎年ドラマが生まれる。メジャータイトルにふさわしいコースだと今でも思います」。

まだ出場権のない時代にアジアンツアーを転戦。米ツアーにも出場した。
その経験を踏まえて当時から、髙橋はよく言った。
「日本ツアーは、世界でいちばん素晴らしいツアーだと思います」。
実際のレベルや、フィールドうんぬんを論じているのではなく、そういう気概を持って戦うことの重要性を伝えたかった。
「自分たちが一番輝ける場所。その価値を、僕ら選手の力で、もっと高めていくこと。そのために、僕らは日々小さな努力を積み重ねていかなければいけない」。

その時、得た5年シードも失い本大会への出場も、ここ数年、遠のいているが、昨年は期間中のジュニアイベントに講師として参加。
大会への協力を惜しまない。

当時から抱く思いも変わらない。
歴代覇者として、いま言いたいこと。
「若い選手にこそ目指して欲しいタイトル、それが『選手権』です」。
次世代へ「誇り」というバトンを託す。

  • 奥様の葉月さんもプロゴルファー。きってのおしどり夫婦です
  • 昨年は、歴代覇者として、ジュニアイベントの講師で参加 ©JGTOimages

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