さすがのベテランも、「今日はさらに楽しいなって思ってもらえたら嬉しいですけど、…できるかなw」と、強豪校での重責には誰より頼りになる伴侶を同行。
妻の葉月さんもJLPGAでプロゴルファーのライセンスを持っている。
仲良しプロ夫婦が力を合わせばすべて円満!
大谷紀乃さんとのガチンコ対決に破れたのは計算外(?)だったが、参加してくれた4年生98人中、スナッグゴルフ部員4人以外はみなほとんどが未経験者で、この日もまた愛妻の献身に救われた。
お父さんの誘いで小学4年時にゴルフを始めたが、5年時のコースデビューは空振りばかり。6年時に初めて出た試合では、20人中“ブービー”の19位にかえって火がついた。
中学校の猛練習で、3年時に初めて全国大会に出場。7位の成績を自信に高校1年では九州ジュニアで優勝。
ご両親に「プロゴルファーになる」と宣言し、地元福岡を飛び出したが進学した日本大学は強豪揃い。
4年時に、やっと全日本学生を制して翌1997年にプロ転向したものの「その後も試合に出たり出られなかったり…」。
挫折の連続だったが、31歳の2005年に葉月さんと結婚。
すると、同年の「アイフルカップ」でツアー初V。
さらに、翌年のツアー通算2勝目は、小学校からもすぐ近く、茨城県笠間市の宍戸ヒルズカントリークラブで行われているJGTO主催の「日本ゴルフツアー選手権(現・BMW日本ゴルフツアー選手権 森ビルカップ)」で日本タイトルを飾った。
「恥ずかしいですけど」と妻の目前でモジモジしながら、「彼女との結婚を機に、優勝することができたのではないかと思っています」と、午後の講義で告白。
葉月さんも照れて真っ赤になっていた。
「この優勝を機会にアメリカのツアーに参戦できたのですが、コテンパンにやられて、大スランプに陥りました」と、低迷を極めた時も、いつも隣に葉月さんがいてくれた。
シード権を失ってからは、ほとんどの試合で葉月さんがキャディを務めてくれるなど、どんなに苦しい時にも夫唱婦随に救われてきた。
来年は50歳。
「ゴルフの試合には、なんと50歳にならないと出られないツアーがあるのです」と、シニアデビューを心待ちにする。
「そのツアーでは、また1年生に戻ります。またスタートできます。凄くワクワクしながらトレーニングを頑張っています。また優勝したいという夢を持っています」。
子どもたちの前で熱く語る髙橋を、葉月さんがいつもの優しい笑顔をたたえて見つめていた。
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