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中日クラウンズ 2004
“シンゴ(45)大会”を辛くも制した片山晋呉
“シンゴ(45)大会”を辛くも制した片山晋呉
スタート前から、すでに激しいプレッシャーに襲われていた。朝食時に、何気なく広 げた朝刊の見出し。記事はどれも前日3日目の片山のプレーの内容を伝えていた。
“見えた通算20アンダー大会最少ストローク”
“片山、7打差で独走”
“片山、18アンダーぶっちぎり”
“日本ツアー最少スコア記録見えた、片山V王手”
7打差つけて最終日をスタートするリーダーは『勝って当然』というのが世間の目。 そればかりか、3日目に記録した54ホール192の日本新に続き、72ホールでのツアー最 少ストローク260の更新にも、期待が集まっていたのだ。
「今日は絶対に勝たなければいけない」と、自らに言い聞かせた。その重圧が、さっ そく、1番パー4のクラブ選択を鈍らせた。
普段は迷わずドライバーを握るティショット。スプーンを選んで、右のラフだ。「ま るで初優勝のときみたい。すでに、1番ホールから追い込まれてバタバタだった。今 日は1日、自分の中でいちばん弱い自分がプレーしていた」。
いつもなら、優勝争いのさなかはスコアボードをほとんど見ない。が、今回はなぜか 要所要所で目に飛び込んできた。豪州のポール・シーハンが、前半で5バーディと爆発していた。スタート時からの差 はまだ十分あったにもかかわらず、片山はすっかり慌ててしまった。「自分で自分を 追い詰めてしまった」のだ。
前半のうちに、自身の目標でもあった通算20アンダーに、いちどは到達させたもの の、バックナインで最初の貯金を大放出。13番でボギーをたたくと、15番からはまさ かの3連続ボギーだ。通算16アンダーまでスコアを落として、すでにホールアウトし ていたシーハンとの差は2打まで縮まった。
日ごろから、安定性には定評のある片山が今回、垣間見せた「人間らしさ」。結局、 窮地を乗り越えそのまま逃げ切って、「とにかく45回の記念大会に勝てた。歴史に名 を残せた。1打差でも2打差でも、とにかく勝てばいいんです」と、苦笑まじりに振り 返る一方で、めったに自分を卑下しない選手が「情けない、最後はちょっとかっこ悪 い」との本音もチラリ。大量リードを持ちながらの優勝争いだったからこそ、思い通 りにプレーさせてくれないプレッシャーもあることを、今回、思い知らされたのだ。
「追われる立場で、最後まで自分をコントロールできなかった」この通算15勝目は、 忘れない。
「今回は、勝って学ぶことがたくさんあった。ほんとうによい経験をした」。自らシ ンゴ(=45)大会と銘打った、このメモリアル年の大会初Vは必ず今後の糧とする。