「僕がアンバサダーに就任した当初は世界がこんなことになるとは予想もしていませんでした」と、川村は振り返る。
「僕自身、プロゴルファーとしての活動や生活で、これほどの恐怖や不自由さは、経験したこともありませんでした」と、身につまされることで「改めて、この難しい時代の中で、ご病気と日々戦っている方々と、そのご家族の気持ちを考えさせられています」と話す。
治療や研究には莫大な費用がかかり、患者さんを救えないことも多いと聞く。
「コロナ禍により、今自分にできることは何なのかを再認識した」という川村は、「国や企業の支援を受けられるように、まずは現状を知っていただくこと」と、使命を語る。
「僕ができることは微力ですが、僕のキャディバッグについているRDDのロゴを見て、活動を知ってくださる方がひとりでも増えれば、僕が転戦を続ける意味も、少しは出てくるかもしれません」。
思いを胸に、今日も世界を駆ける。
先週は、タイで行われていたアジアンツアーの「ロイヤルズカップ」に出場し、明けてすぐこの日28日は夜便で、アフリカのケニア・ナイロビへ。3月3日~6日の欧州ツアー(DPワールドツアー)「マジカル・ケニアオープン」に出るため移動を開始。
空路ドーハを経由する長旅だが、「大変……、とはもう思わなくなりましたね。それが当たり前になっていて。慣れちゃいました」と、今日も軽々と海を渡る。
19年に欧州ツアーのシード権を取得してからもう3年。
「できれば日本ツアーにも、何試合かは出たい」という。「でも、今はコロナの問題があるので余計にスケジュールがつきません。もう、2年も出られていない」。
それだけに、当初4月に欧州と日本の共催として組み込まれていた「ISPS HANDA 欧州・日本どっちが勝つかトーナメント!」の日本開催を本当に楽しみにしていたそうだ。
「いつも応援してくださる方々にも久しぶりにプレーをお見せできると思っていたのですが」と、本人の無念以上に、大会の1年延期を残念がってくれたのは、実は欧州ツアーの選手たちだった。
「初めて日本に行けるゼ~って(笑)、開催発表時もみんな凄いテンションが上がっていて。オススメのホテルを聞いてくれたり、僕としても、みんなに日本を紹介できるなって、凄く待ち遠しかったんですけどね。仕方ないです。お楽しみも来年に持ち越しですね」。
欧州ツアーは昨年11月に、新シーズンが開けたが、直後に新種のオミクロン株が出現。開幕戦は競技短縮され、その後の試合も次々と中止が決まってトンボ帰り。帰国後10日間の強制隔離も経験した。
ツアーの再開を待ち、1月20日~23日の「アブ・ダビHSBCチャンピオンシップ」から再合流したが、この先またいつ行き先変更を余儀なくされるか分からない。
先行きの見えない旅の連続だが、「目の前に出られる試合があるのなら、僕はただ、そこに向かって行くだけですね」。
2月10日~13日の「ラアス・アルハイマクラシック(UAE)」では6位タイ。昨年9月以来のトップ10を記録した。
不屈の思いがいつか、願ってもない形で報われるといい。