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アイフルカップゴルフトーナメント 2005

髙橋竜彦「プレッシャーの中で、いかに良い球を打つか」

優勝争いのときによく、「スコアボードは見ないで回る」という選手がいる。少しでも、緊張しないようにするためだ。
しかしこの日の髙橋は、あえてスコアボードをチェックしながらプレーした。「現実を知りながら、それでも勝てたら最高だと思ったんです」。
だから、一時は首位に8人が並ぶ大混戦だったことも、その中心に自分がいたことも、ちゃんと分かってプレーしていた。
ゲーム展開を知りながら、プレッシャーをはねのけて初優勝をつかんだ。

コーチの堀尾研仁さんと組んで3年。普段なんでもないときに、良いショットが打てるのはプロならば当たり前のこと。究極の課題は、「プレッシャーの中で、いかに良い球を打つか」ということだった。
その取り組みが、この日生きた。

団子状態のまま突入した上がり4ホール。「16アンダーにしないと負ける」と言い聞かせて迎えた15番パー5。
手前カラーからピッチングウェッジで転がして、2メートルのスライスラインを決めた。

残り131ヤードの第2打を、ピッチングウェッジでピン左2メートルにつけた17番パー4。
グリーン横のスコアボードで、まだなお高島康彰と通算15アンダーで並んでいることを知った。
先のバーディで、全員突き放して自分が単独首位に立っていると思い込んでいた。
たちまちプレッシャーが襲い掛かる。
しかし、「これを外せば負ける。ここが、勝負どころだ」強い決意で、バーディパットをねじこんだ。

1打差首位で迎えた最終18番は、ティショットから震えていた。
ゆったりと広いフェアウェーにもかかわらず「とりあえずOBは打たないように」と考えたほどだ。

そんな重圧の中、右ラフからの第2打は「パーフェクトの球が打てた」。
ピッチングで打った残り143ヤードを、ピン手前7メートルにつけることができた。

バーディパットを打つまでの時間は、やけに長く感じられた。
同じ組の髙橋勝成と田島創志は、チャンピオンにその日の最後の1打を譲るため、それぞれ先にプレーを済ませてくれようとしていた。
気持ちはありがたかったが待つ間の数分間に、つい余計なことを考えてしまう。

グリーン奥には妻・葉月さん、コーチの堀尾さん、父・忠吉さんや所属先ホリプロの小田信吾・社長の顔まであった。
「・・・ここで3パットを打ったら、みんな白けてしまうだろう」
そう思うにつけて手はしびれ、感覚がなくなっていった。

わずか50センチのパーパットは、「本当に入るかどうか、自分でも半信半疑だった」と振り返る。

ファイナルQTで失敗し、ツアーの出場権さえ失った昨シーズン。同年代の仲間たちが、次々と初優勝をあげる姿を自宅のテレビで見るにつけ、いいしれぬ悔しさを味わった。
もう31歳。いつまでも「経験」といっていられる年齢でもなくなっていた。
「こんなことをしている場合ではない」。
しかし、その気持ちはすべて日々の練習にぶつけていくしかなかった。

これまでも、初優勝のチャンスは幾度かあった。しかし最後の最後に崩れ去ったのは、精神面の弱さのせいと決め付けていた時期もあった。
「でも、それは違ってた。負けたのは、技術的な裏づけがないせいだった」。
それに気がついてから、高橋はますます練習場に向うようになった。

2打差首位の最終組でスタートし、接戦の末に勝ち取ったこの栄冠は「ずっと夢見てきた理想の勝ち方」。
日の当たらない時期も、コツコツと重ねたたゆまぬ努力の成果でもあった。



  • 福田吉孝・大会会長からカップを受ける髙橋
  • 「雨の中、たくさんのギャラリーのみなさんの応援やボランティアのみなさんの力に支えられました!」(髙橋)

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