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中村寅吉氏が死去(2月11日)
15歳で神奈川県・程ヶ谷カントリー倶楽部のキャディーを始めた。独学で腕を磨き、20歳でプロに。
その名を轟かせたのは1957年だった。
埼玉県・霞ヶ関カンツリー倶楽部で行われた国別対抗戦カナダカップ(現ワールドカップ)で小野光一プロとペアを組み団体優勝に導いた。
また個人戦でも優勝を飾り、戦後日本に最初の一大ゴルフブームを巻き起こした。
国内ツアーでも数多くのタイトルを持ち、日本オープン3回、日本プロを4回制した。
また優れた指導力とその人柄はプロ・アマ問わず多くの人に慕われ、“寅さん”の愛称で親しまれた。
日本ゴルフツアー機構では2001年から「JGTOゴルフトーナメント功労賞」を設定し、ゴルフ界とゴルフトーナメント界に多大な功績を残した方々を表彰してきた。
中村氏はその初代受賞者でもあった。
<中村寅吉氏を悼んで・・・>
大先輩の中村寅吉さんのご逝去の知らせを受け、ただただ、驚き、そして残念に思っています。
日本で開催された国際試合のカナダカップ(現・ワールドカップ)で故・小野光一さんとともに活躍され日本チームを優勝に導いた事は、日本のゴルフ界の中で一番大きな出来事であり、今もなお忘れられません。
その後2001年に静岡県の太平洋クラブ御殿場コースで開催されたワールドカップでは中村寅吉さんのお元気な姿をゴルフファンの皆様に見せていただいたことを鮮明に覚えています。
このカナダカップでの優勝が我が国のゴルフブームを巻き起こすきっかけとなり、現在の男女のゴルフトーナメント界があるのも中村寅吉さんの数々のご尽力、ご活躍のおかげであることは間違いありません。
また、わが国のプロゴルフトーナメント界の発展に多大なる貢献をした方を表彰し、その功績を永くたたえるという趣旨のもと、2001年度より毎年表彰しておりますJGTOゴルフトーナメント功労賞では、初代の功労賞の受賞者としてその功績をたたえ表彰させていただきました。
中村寅吉さんのゴルフ界に残していただいた功績は語りつくせません。ご生前のお姿を偲び、心より感謝し、ご冥福をお祈りいたします。
社団法人 日本ゴルフツアー機構 会長 島田幸作