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アジアパシフィックオープンゴルフ選手権競技キリンオープン 2000

「目標はアメリカ。そのためには、日本ツアーで4日間とも60台でまわり、毎週、優勝争いをし、賞金ランクはトップ10位内。そして、何も考えずにクラブが振れるようになれること」佐々木久行

17番パー3で、サブグリーンにはずしたティショットを、チップイン。続く18番パー5では、残り233ヤードの第2打を、2番アイアンで12メートルに乗せてイーグルトライ、これは惜しくもはずしたが、バーディパットをしっかり沈めてノーボギー65。佐々木久行が、通算4アンダーで決勝ラウンドを迎える。

「異常なくらい、短いパットが入ってる。初日の悪天候では拾いまくって74。昨日はノーボギーの70。そして今日もノーボギーの65。もう、完璧ですね」

佐々木が、米ツアーに挑戦したのは96年。94年で初出場した日本シリーズ、そして、翌年の日本プロで公式戦2勝を果し、その余勢をかって揚々と、世界へ出て行った。
だが、甘くはなかった。159位でシード落ち。翌97年は国内専念を決め、開幕すぐの静岡オープンで、ツアー3勝目をあげた。そして、左手首にできた脂肪の塊が、強烈に痛み出したのは、その夏のことだった。

「ショットのたびに強烈な痛みが走り、鎮痛剤を打ちながら、騙し騙しプレーしていましたが、とうとうこらえきれなくなってオフに手術を決心しました。そのあとは、ツアー復帰はしたものの寒さで傷跡の痛みに耐えきれず、とてもゴルフにならかった」(佐々木)

98年は痛みと試合勘が鈍って棒に振り、ようやく明るい兆しが見えてきたのが昨年の秋。予選落ちが減り、賞金ランク39位と2000年はまずまずのシード入り。
4年たった今でも、「やっぱり夢はアメリカ」だという。はじめて挑戦したときは、「何をやってもうまくいった」という自身の絶好調期。それでも、通用しなかった。 “再挑戦”は、並大抵のことでは、果せない。

「今のままではだめだということもわかっています。目標を達成するためには、日本ツアーで毎日60台でまわり、毎週、優勝争いをし、賞金ランクはトップ10位内。そして、好調だったあのときのように、何も考えずにクラブが振れるようになれること」。

 絶好の位置で迎える最終日、佐々木は無心でクラブを振れるだろうか。夢の足ががりとするために、今回の完全復活Vは、逃せない。

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