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三菱ダイヤモンドカップゴルフ 2007

復活にかける桑原克典が、この日ただ一人アンダーパーをマーク

以前は理解できなかった。ショットやパッティングで手が動かなくなるイップスというゴルフの病いや、ある年齢に差し掛かり、中堅やベテラン勢が陥るスランプも、「なんで、手が動かなくなってしまうんだろう。何も考えずに打てば済むことなのに」。そう軽く考えていたのだ。

10歳でゴルフを始め、地元・愛知学院大時代はトップアマとして君臨。92年にプロ転向し、95年から11年間はシードの常連。その間にはツアー2勝も経験した。
あのころは「何も考えずに成績が出た」ものだ。

しかし、賞金ランク89位でシード落ちを喫し、ファイナルQTランク27位の資格で出場している今シーズンは「「考えても、何も出ない(苦笑)」。
40代を目前にどん底に落ちて、ジャンボ尾崎や中嶋常幸の本当の凄さがようやく分かったと、桑原は言う。

「スランプを乗り越えたあとに何十勝もしたジャンボさん。長い不遇の時代を経て復活優勝をあげた中嶋さん・・・。一度落ちてからまた這い上がり、ゴルフの組み立て方を掴んだら選手はきっと、とことん強くなれるのだ」と痛感させられた。

苦しみを味わったからこそ、ますます強くなれる。
年齢を経れば経るほど「体だけでなく、心の健康も求められる。それがゴルフなんだ、と」。
そう言い聞かせ、シード復活をかけて頑張っている。しかし、頑張れば頑張るほど思うような結果が出せず、正直ちかごろ嫌気がさしていた。

今週火曜日にはとうとう胃が痛くなった。
「風邪だろう」と思って医者に言ったら、あっさりと言われた。
「ストレスでしょう」。
それほどに精神的にも堪えていたが今週こそ、休むわけにはいかなかった。

全国各地の名コースを選んで開催される“サーキットトーナメント”。今年、3年ぶりに帰ってきた舞台は、茨城県の大洗ゴルフ倶楽部。

ホールに沿って密集する黒松の林。
狭いフェアウェー、砂地に生い茂る深いブッシュ。
すぐそばの鹿島灘から吹き付ける強い海風。

その手ごわさゆえに、難攻不落と畏れられるこのシーサイドコースは桑原にとって「痛めつけられるシーンが夢にまで出てくる」ほどだ。
攻めれば攻めるほど、深みにはまる。
「ひとつのミスにイライラすると、ますますボギーやダボを打つ。ボギーを打ってもとにかく我慢。大人の・・・オジサンのゴルフをしないと、順位が上がらないのがここ大洗」。

その分、克服できたときの快感はひとしおだ。
「だからこそどんなに痛めつけられても、体調が悪くても、這ってでも回りたい。それがこのコースなんです」と、桑原はいう。

朝から強い風が吹く中で、耐えに耐えて叩き出した1アンダー。この日唯一のアンダーパーは、今の桑原にとって計り知れないくらいの価値がある。
単独首位にスタートに、「プライドも、“こうあらねばならない”というこだわりも捨ててすべてを受け入れ、今週は打たれても打たれても、コースに立ち向かっていく」と、心に決めた。

※大会初日にアンダーパーをマークした選手が1人しかいなかったのは、99年に北海道の小樽カントリー倶楽部で行われた日本オープン以来。ただ一人4アンダースタートした尾崎直道が、そのまま優勝を飾った。

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