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レオパレス21ミャンマーオープン 2018

元祖ゴルフトラベラー! 市原弘大は旅の途中

さすが旅慣れている。会場でも肩から下げているボディーバッグは、年季が入っている。
「アジアのQTを初めて受けた時に買ったカバンだからもう10年以上は経っているかな? アジアに来るときは、必ずこれです」と、ベルトの部分はほつれているし、ポケットの皮の部分はハゲハゲ。
「海外ではこういうほうが安全だから。何か良い物が入っているようにはとても見えないでしょ?」と得意げだ。

使い慣れた長尺パターのグリップもまた、ボロボロだがこちらは「もう同じ型のものが出回っていないので、替えがきかない。もう1年は替えていない」と大事に、すっかり手に馴染んだ宝刀で、9番でも長いバーディパットを器用に流し入れた。

「今日はパー5で3つ獲れて。丁寧なプレーが出来た」と2アンダーで上がってきた。

昨年31日に出発してタイで年越ししてから、まだ日本に帰っていない。「1月1日から、練習ラウンドをして、3日から試合」。
アジアンツアーのQTはファーストから挑戦した。
14日に最終日を迎えたファイナルでは77位に終わって、今季同レギュラーツアーの出場権は逃したが、二部のADTツアーの出場権を確保すると、その足でシンガポールへ。

深夜に着いて、その日月曜日の15日は朝5時起きして「SMBCシンガポールオープン」のマンデートーナメントに挑戦。
本戦切符は逃したが、木曜日まで練習場に居座り、調整を重ねた。
いったんまたタイに戻ってしばしの調整を重ねて、今度はミャンマーにやってきた。

旅から旅は4週間目。日本ツアーは昨季賞金ランク88位でシード落ちを喫した今季は、原点回帰の年にする。
2001年の高校卒業と同時にプロ転向して最初に足を向けたのも、2010年には日本ツアーより先に初シードを確保したのもアジアンツアーだった。

「試合があれば、どこへでも」が信条。元祖・旅人ゴルファーと呼ばれるゆえんである。
昨年は左親指付け根痛に悩まされて、日本では結果が残せなかったが、落胆はなかった。

一昨年からスタートした今大会は今年、ファイナルQT10位の資格で、2年連続の出場でもアジア転戦時代から数えたら、「ミャンマーにはもう6回は、来ているかな?」。

政権交代後の経済成長は、市原の目にもめざましく、「僕が最初に来た頃には道路もがたがた。走っている車もいつのなの?と言いたくなるような年代物ばかりだったけど」。
今は欧州の高級車も見かけるし、ヤンゴン市内には高層ビルがいくつも建った。
そんな国の発展と推移を肌で感じられるのも長年、旅人生活を続けてきたからこその醍醐味である。

また以前のように、大会の大小問わず、どこかの国の、小さなローカル試合も含めて「ゴルフトラベラーとして、何試合出られるか。数えてみようかな」と今週は、キャディもかって出てくれた専属トレーナーの湯浅文乃さんと、仲良く足並み揃えて楽しそうに笑った。

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