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JCBクラシック仙台 2000
ショットの不調をパットで補い、佐藤は度重なるピンチも切りぬけた
「今日は朝から、ショットが悪かったんです。昨日はちょっと復活傾向にあったんですけど、今日は緊張もあってヘッドの振り出しがいつもより、思いきって出来ていませんでした。それでクラブが振り遅れ気味になって、ヒールに当ったりしていた。
ゴルフを始めたときから、いつのまにかついた悪いクセなんですけど、僕は怖くなってくるとクラブを引きこんでボールにぶつけに行こうとする。インパクトで手が前に前に出て、刺しにいくんですよ。この日の7番もそう。たまたまフェアウェーに行ったけど、あれは『どヒール』の球だった。だからこれまで(コーチの)井上(透)君と、ボールを目標方向に投げていくような感じで、というふうにずっと改善してきたんですけど、やっぱり、肝心な場面でその欠点が出てしまうんですね。9番は、暫定球のほうが良い球が打てて、『あ、こんな感じだ』と思いながらセカンドに行ったんです」
佐藤は、このところの好成績を「すべて運だけ」と言いきる。しかし、その運も勝者の条件だ。
9番のティショットは、完全にOBだった。誰もがそう確信した。それがカート道横のラフに残っていた。運が、佐藤に味方していた。
「僕よりもっとうまい人は本当にたくさんいるのに、なんでこんな僕ばっかり…って思う。なんか、信じられません。これは、もう運でしかないと思います(笑)。
考えてみると、僕は昔から運というか、ついていることが多かったような気がします。たとえば大学受験に失敗したとき。『じゃあアメリカの大学に行ってみたいな』と思って『TOEFL(トウフル=英語検定試験、留学時の入学条件としても採用される)』を受けたんですが、クリアできなくて落ちてしまったんです。で、どうしようって言っていたときに、たまたまジュニアクリニックのイベントが戸塚であって、そこでジャック・ニクラウスに出会ったんです。そのとき、『ダメで元々だから』とニクラウスに『アメリカの大学に行きたいんで推薦状を書いてください』ってお願いしてみたら、軽く『OK』って言ってくれた(笑)。それでトントンと話しが決まったんですね。…ただ、推薦された先がミリタリースクールだったんで、ビックリしたんですけど(笑)」
(注意:佐藤は高校卒業後、米国のミリタリースクールに2年間通い、卒業後、ネバタ州立大学に入学している。ネバタ州立在学中に帰国し、当時のプロテストに一発合格した)
この日、フェアウェーキープしたのは、5、7、11、12、13、15番のたった6ホール。しかも、スタートの4番までは、一度もパーオンできなかった。
それほどまでのショットの不調を救ったのは、やはりパッティング。どんなピンチもパットでしのぎ、ここ一番のチャンスもしっかり沈めた。
「97年にここで勝ったときと同じように、やはり今回もパットで勝てた気がします(笑)。今回、一緒にラウンドした人はみんな驚いていると思う。4日間を通して、本当に入りつづけている。こんなに入ることはまずないでしょうね。僕はショットメーカーなタイプじゃないので、勝つのはパット次第です。これまで優勝した試合は全部、パットで勝ちました」
ラッキーづくしの佐藤にも、最後に試練が待っていた。18番、383ヤードのパー4。
ティショットは大きく曲がって左林に。ライは土が剥き出しになり、しかもボールに枯れ枝が覆い被さるように乗っかっていた。
「風が左から吹いている気がしたし、あそこの右は絶対にいやなんです。で、ふっとインパクトの瞬間に球を捕まえにいってしまった。『あ、これは左に行くな』と感じたんですけど、あんなに左に行くとは思いませんでしたね。でも、それまで、『こんなにショットが悪いのに、持ちこたえているのはおかしい。どっかでヤバイのが来るはず』と思ってたんで、『ああ、最後の試練がやってきたんだ』という感じです」
もっとも、その時点で2位の伊沢とは3打差。佐藤は落ちつきはらって、ひとまずピッチングウェッジで脱出し、そこから9番アイアンでグリーン奥のカラーへ。約7メートルのパーパットを2つで沈めてボギーフィニッシュ。ウィニングボールは、そっとポケットにしまった。
「これは、嫁さんに・・・(笑)。初優勝(97年の今大会)のときは、ギャラリーに投げてしまって、怒られるっていうか、持って帰ってきてって、頼まれたんです。それで2回目(98年ブリヂストンオープンのウィニングボール)は、母にあげて、3回目(今年5月の日本プロ)はおばあちゃんに。それで、今回が嫁さん。・・・次に優勝したら? 投げたいですね、(ギャラリーに)思いっきり!(笑)」