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つるやオープン 2000
「2000年/プレーヤーたちの挑戦」杉原輝雄
「今季、もしシードが取れなかったら、来年から出る試合を考えなあかんと思てる ―」
杉原が自ら、「ガンに冒されている」との衝撃発表をしたのが98年のデサントクラシック会場。しかし、「私には時間がない」と体にメスを入れることを拒み、女性ホルモンの投与などで、病状を抑える方法を取った。
一方で、飛距離の維持・アップのために、ハードなトレーニングにも取り組んだ。身長162センチの小柄な体で、47インチもの長尺を振るのも、すべて「あくまでもツアーの第一戦でやりたい」との気持ちからくる、強烈な勝負魂のあらわれだった。
その杉原が、今年の成績いかんでは、レギュラーツアー撤退の可能性もある、と洩らしたのだ。
賞金ランクによるシード権を失って5年。昨年はランク160位と、年々、成績が低下しているのは確か。それでも、ひたむきにボールを打つ姿が、常にファンの感動を呼んでいる。
他のプレーヤーへの影響力も大きい。
開幕戦で4年ぶりの復活Vを遂げた芹澤信雄は、優勝インタビューで杉原への感謝の念を繰り返した。
飛距離を求め、スウィング改造に踏み切ってスランプに陥っていたとき、一緒にラウンドした杉原が言ったという。「芹澤君、キミはまだ、セカンドで乗るやないか。僕がキミほど飛距離があったら、もうふたつみっつは勝てるで。キミならまだいける、大丈夫や」
もう、二度と勝つことはない、と諦めかけていた芹澤には、それが「神の声に聞こえた」という。
「60歳を超える人が、まだ、『勝つ』などという言葉を言ってくること自体、驚きでした。僕はもともとステディなゴルフが持ち味だった。『そうか、杉原さんのいうとおり、僕はまだ、第2打は届く。地道にパーを積み重ねていれば、どこかでチャンスもあるかもしれない。自分のゴルフを貫こう』…そう思えたんです。実際、それで勝てた。杉原さんの言葉は、ほんとうにデカかった」(芹澤)
杉原は、もしかしたら何気なく言っただけかもしれないが、それが、ひとりの選手の目を覚まし、勝利へと導いた。ツアーにとっても、なくてはならない存在なのだ。
「もちろん、『出る試合を考える』といって、引退とかではない。でも、今年のオフは、自分でも満足のいく練習ができた。去年より、手応えもある。いまは、たまに女性ホルモンを打ってはいるけど、病気の影響もほとんどない。…ここまでやってもねぇ…」。そのまま言葉を消し、ぐっと遠くを見据えた杉原の瞳から、『ここまでやってだめならば、けじめをつけんとあかんのや』という男気が伝わってくるようだった。
2000年を区切りの年、と定めた杉原の挑戦は一見、静かだが、目のそらすことのできない壮絶な決意が秘められている。