Tournament article
コカ・コーラ東海クラシック 2010
松村道央が涙のツアー初優勝
プロ5年目。これまでにもチャンスはあった。しかし、そのたびに跳ね返されてきた厚い壁。「バックナインでいろんなことを考えすぎて、崩れることが多かったので」。
これまで幾度かの優勝争いで悟った。「最後まで、攻めるゴルフをしないと勝てない」。3打差の4位タイからスタートした最終日は前半の2番でボギー、6番でダブルボギーを打って、改めて自分に言い聞かす。
11番からの3連続バーディで、通算6アンダーまで盛り返した。手を伸ばせば届くところまで持ち込んで、なお「また、いつもの悪いクセが出そうになった」という。
3日目に同組で回った谷口徹も言っていたことだ。「お前は急に強く打ったり、逆に今度は弱かったりする」。
松村自身もまた気がついていた。
「パットは常に、絶対にカップをオーバーさせてやるぞ、という気持ちで打たなければならない」。ますます自身にムチ打った。
その集約が、本戦の18番だ。ピン左から実に14メートルは、池に向かって打つ。下り傾斜の長い、長いバーディパットをねじ込んだ。天に向かって何度も突き上げたガッツポーズはそのあと、約1時間半後に迎えた優勝シーンよりも、ずっと劇的。その時点でもはや、優勝争いの重圧に打ち克ったも同然だった。3人タイでなだれ込んだプレーオフも、強い気持ちは去らなかった。
1ホール目に兼本貴司が脱落して藤田寛之との一騎打ち。
「僕が藤田さんに勝てるものは何ひとつない。せめて気持ちで負けない」と食い下がり、3ホール目にベテランを池ポチャのダブルボギーに追い込んだ。
41回という大会の長い歴史に名前を刻んで「光栄です」と、涙ぐんだ。
副キャプテンをつとめた名門・日大時代。4年生の2005年に日本学生ゴルフ王座決定戦を制して翌年にプロ転向を決めた。デビューから2戦目の2007年は、8月のサン・クロレラ クラシックで10位に入り、3戦目のANAオープンは初日に63で、単独首位につける活躍もあった。
同年のチャレンジトーナメントで賞金ランク1位につけてツアー資格を得ると、さっそく初シード入りを果たした。2008年のミズノオープンよみうりクラシックでは3位に入り、プロ3年目にして全英オープンで初メジャーも踏んだ。
「でも、そのあとはチャンスにも恵まれず」。
初優勝を大いに意識して、厳しい鍛錬を自らに課したのはシード2年目を迎えたこのオフ。「ランニングは“もうダメだ”と思ったあと、残り3キロで頑張る。限界まで追い込んだ」。
谷口徹に誘われて参加した宮崎合宿では「ショートゲームのうまさと集中力と、勝負強さを学んだ」という。
今年9月のフジサンケイクラシックでは石川遼との最終日最終組を経験し、強さの秘訣も垣間見た。
「遼くんは、ボギーを打ったあとでも表情が落ち着いていて。こういう風にプレーしないといけない」。
また、その週には練習日に片山晋呉に「アプローチのボールの位置が内側に入りすぎ」と指摘されたことで、「飛躍的にレベルアップが出来た」。この日最終日は難コースで特に、バンカーショットで大いに生きた。
若手ベテラン問わず、トッププレーヤーたちから盗んだ技と精神力でつかんで悲願の初優勝だ。オフの合宿以来、近ごろよく食事を共にする谷口には顔を合わせればいつも「“まだまだお前は甘い”とダメ出しばかり」と、笑うが「今週だけは、褒めてくれるかな」。口では厳しいことばかりでも、本当は何かと気を遣ってくれる後輩思いの「師匠」にも、良い報告が出来る。
冬はもっぱらスキーに興じるかたわらで、夏期にもたしなめるスポーツを、と父の孝さんの勧めでクラブを握ったのは、10歳のときだった。「それがなければゴルフをすることもなかった」と感謝する。
“道央”と書いて“みちお”と読む名前には、「道の真ん中を歩く人間になって欲しい」との両親の願いがこめられている。
「これからは遼くんや勇太や、薗田くんにも負けない存在感をアピールしていきたい」。27歳が、いまツアーのど真ん中を歩き始めた。