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つるやオープン 2010
藤田寛之は「師匠がいなければ、今日の優勝もなかった」
「芹澤さんがいなければ、今日もこういう結果になってない」と、言い切った。
今大会は主催者推薦で出場した師匠の芹澤信雄とは、この週が約3週間ぶりの対面だった。
オフは毎週のように顔を合わせ、教えを乞う恩人。
ゴルフの技術だけでなく、私生活の悩みも打ち明けることもある。
「話を聞いてもらうだけで、メンタルトレーニングになる。道に迷ったときも、必ず良い方向へと導いてくれるから」。
絶大な信頼を置く師匠が、ジャパンゴルフツアーは開幕直前に日本を留守にしたのは4月も初め。
2週前のマスターズトーナメントでテレビ中継のラウンドリポーターをつとめるため渡米した。
そのたった数日間。弟弟子の宮本勝昌と2人して、どれほど帰国を待ちわびたことだろう。
「宮本もそうだけど、開幕を前に不安になって。早くスイングの相談をしたくてたまらなかった」と藤田は言う。
それだけに、この週の練習日は火曜から「芹澤さんに質問攻撃」。
今季から使い始めた長尺ドライバーは、目に見えて飛距離が伸びるかわりにリスクも大きい。その懸念から、「今までの自分にはない動きをスイングでしていた」。
他の誰に指摘されても心に染みないアドバイスは、しかし芹澤に言われると、「とても重くて」。練習場で芹澤に、実際のゼスチャーを交えながら難点を指摘されると一発で不安は解消された。
藤田にとって、師匠の声は神の声。
「やるべき方向性やイメージが出てきて、思ったようなラインが出るようになった」という。
しかもそれだけではない。
師匠は自らも、身を持って示してくれた。
それは、大会3日目の第2ラウンドだ。
前日の第1ラウンドで、5オーバーと大きく出遅れた芹澤が、翌日には5アンダーをマークして、堂々と予選を突破。
「トレーナーにこっそりと聞いたら、芹澤さんは背中の筋肉もガチガチで。あれはなかなか元に戻せない、とトレーナーは言っていた」。
そんな素振りはみじんも見せず、師匠がたたき出した66に「感動を覚えた」。
芹澤が、影でどれほどの努力を積んでいるかをずっと長いこと間近で見てきた。
それだけに、「ただの66じゃないんです。もうそのスコアだけで、僕には感じるものがありました」。
50歳のシニア元年に、シニアツアーの賞金王を公言している師匠の好スコアが藤田には、何よりの励みとなった。
「たかが40歳でどうのこうの言っている。自分が恥ずかしくなりました」。
まして最終日は自分のプレーが済んでもなおコースに居残り、弟子のプレーオフ3ホールの激闘さえ見守っていてくれた。
「そこにいていただいているだけで、もう感激です」。
師匠の前で掴んだツアー通算9勝目も、「この上ない嬉しさです」。
いつも明るく前向きで、エネルギーに満ち溢れている。芹澤は藤田にとって、永遠に憧れのプロゴルファーだ。
勝負を決めた18番グリーンでその恩人に、両腕でギュっと抱きしめられて感極まった。