Tournament article
長嶋茂雄 INVITATIONAL セガサミーカップ 2010
小山内護が4年ぶりの復活優勝
「信じられる? 俺、これが今季初戦なんだよ!」。
本戦切符をかけた予選会「マンデートーナメント」を突破して、頂点まで勝ち上がった選手は過去4人。しかし、その“初戦V”は史上初。
「去年、僕はシードを落としまして」と表彰式で、満員の観衆にも事情を説明しようとして、ふいに喉を詰まらせた。
「まさか今週、優勝できるなんて思ってなくて」と、そこまで言って男泣き……。
左ヒジを壊したのは昨年5月。ベルトのバックルも外せない。ツアーきっての酒豪が「ビールジョッキも持てなくなった」。それでも、転戦中の怪我を公傷とみなす特別保障制度の申請は、頑としてしなかった。「怪我は本人の責任。ズルイ気がして」。
男の美学と言ってしまえばカッコは良いが、痛みを押して出場を続けて案の定、98年から初のシード落ち。しかも出場優先順位をかけたファイナルクォリファイングトーナメント(QT)にも失敗した。
それでもツアー通算3勝の実力者なら、推薦出場を受けようと思えば出来ないことはない。しかし「甘えが出る気がして。やるからには実力で出たい」と、これまたあえて自ら安易な出番を絶って「引きこもった」。
キャディバッグは埃をかぶった。トーナメントのスコア速報も見る気がしない。趣味のパチンコで時間をつぶそうにも道楽する「金もない」。転戦中は、夜な夜な率先して後輩を呑みに連れ出したものだが、試合に出られなければそれも出来ない。「つまらない」。
かわりに韓国ドラマのDVD鑑賞にハマった。せめて“韓流気分”を盛り上げようと、マッコリをひとり、チビチビと呑みながら思った。
「試合に出たい」。
シード選手だったころは「当たり前のように出ていた」。ミスショットには、すぐにふて腐れて「また来週あるさ」。しかしいざ、恵まれた稼ぎ場を失って気づかされたのは「試合に出させてもらえることの有り難み」だった。
だからこの週は、「この場所にいられることの幸せを感じながらプレーした」という。感謝の思いは、ちゃんとスコアに出ていた。4日間で、ボギーは第3ラウンドで叩いた2つだけ。72ホール目に渾身のパーセーブで20歳の薗田峻輔と、21歳の趙珉珪(チョ・ミンギュ)相手に臨んだプレーオフ。
特に趙は思いのほかしぶとくて、ツアー2勝目は99年の日本プロマッチプレーで「タイマンなら負けない」と決勝戦で、あの谷口徹をたたきのめした男は久々の一騎打ちに、燃えに燃えた。
クラブを握らず、ひそかに転職も頭をよぎった日々も、毎日欠かさず続けたのは「Tシャツが、汗で搾れるほど」のジョギングと、弱点のパット練習。
自宅のパターマットで自分の歳の数だけ連続で打つ。40回目前で失敗したら、また一からやりなおし。「毎回、かなり集中してやった。その成果は確かに出た」。
日本カルミック提供のドライビングディスタンス賞50万円は、額賀辰徳に譲って「まだまだ」と本人は嘆いたが、2004年から3年連続のドライビング王は健在だった。
18番パー5で繰り広げたプレーオフは2ホール目に330ヤードドライブ。3ホール目は、イーグルパットが3メートルもオーバーしたが、きっちりと入れ返した。2ホール目から果敢に2オンを狙い続けて、4ホール目に趙をねじ伏せた。長嶋茂雄・大会名誉会長に「パワーあるね!」と言わしめた。ご近所のよしみで何かと世話になっている、里見治・セガサミーグループ代表取締役会長兼社長にも「やっとご恩返しが出来た」と喜んだ。
40歳の復活劇に、再び夢が膨らんだ。
「今年は2勝、3勝と挙げたい」。
「米ツアーにも行きたい」。
「打倒・石川遼! 飛距離では負けない」とポンポンと、貫禄のヒゲをたくわえた口から出るわ出るわ。
だがその前に……。
今週は、久々の“ツアー初戦”に「金がない」と、もっぱら平塚哲二や久保谷健一らにおごらせっぱなしだった。いきなり優勝賞金2600万円を手にしたからには、「さすがに、今夜はご馳走してやらないと!」。“宴会部長”が完全復活した。