Tournament article
日本ゴルフツアー選手権 Citibank Cup Shishido Hills 2011
2011年のツアープレーヤーNO.1は韓国のJ・B・パク
日本ツアーは今季シード1年目の“新人”に、宍戸の森が最後に試練を与えた。
13番は上から7メートル。14、15番で8メートル。宍戸の難所で怒濤の3連続バーディで、一度は2位に4打差の独走態勢を築いて「このまま自分さえ落とさなければ逃げ切れる」。
大量リードに勝ちを確信したのもつかの間だった。17番は、最難関のパー4(476ヤード)で池の手前に刻んだ3打目が寄せきれない。8メートルのパーパットはそれから3打もかかった。ダブルボギーに丸山との差は一気に縮んで1打差に。
まさに勝負の見せ所。強い意志で振り切った。いよいよ最終ホールに向かう前、パクはついさっき、カップから拾い上げたばかりのボールを池に向かって投げ込んだ。
悪態をついたのではない。「怒ってもいない」。ただ気持ちを切り替えたかった。
「彼はそういうのがすごく上手い」とは、今季専属キャディのエドリアーノ・ガルサさん。「ミスをため込まないで、いったん吐き出す。そうして新しい気持ちで次のホールに向かうんだ」。
ボールを池に捨てたとき、ミスした記憶も一緒に捨てた。
「ティグラウンドに立ったときにはもうすっかり忘れてた」と、フェアウェイど真ん中を捉えた。
「ドライバーには自信があった」という。今季は開幕から日本と韓国を行ったり来たりで8連戦。疲れはピークに達していた。腰にも痛みを感じて、今朝の練習も「集中出来ない」。身が入らずに早々に切り上げた。「でもコースに出ると、今週はきまって不思議と良くなって。最後まで、自信を持って打てていた」。第2打も、奧のカラーにわずかにこぼれた8メートルのバーディトライをきっちり寄せた。土壇場で丸山を振り切った。とりわけ価値ある1勝をあげた。
昨年の賞金王に輝いた2つ下の後輩がお手本だ。同じ韓国の金庚泰(キムキョンテ)。「彼のように、日本で実績を積んで、いつかは世界に出ていく」と言うのなら、なおさら今回の優勝で得た8月の世界ゴルフ選手権「ブリヂストン招待」の出場権は、願ってもないビッグチャンスだ。
しかしそんな美味しい“特典”がもらえることすら「知らなかった」というパクは、ふいに手にしたビッグタイトルにも戸惑うばかり。
ウィニングパットでは、ガッツポーズで威勢の良い歓声を上げてたくせに、人生初の優勝スピーチでは借りてきたネコのよう。
普段は人目も気にせずゲラゲラと、大笑いをたてる29歳も、肝心なときに声が小さい。心の準備もないままに、握った高性能のマイクさえ拾えないほどか細い声でつぶやく。
「まさか勝てるとは思ってなくて。頭が真っ白」。
18歳から2年間、豪州にゴルフ留学をしており日常会話は問題ないとはいえ自信満々とは言えない英語。「日本語もまだ勉強中で」。
通訳を介して英語や日本語や、ハングルが入り交じるドタバタのヒーローインタビューは、自信のなさもあいまって何度も言葉に詰まり、俯いたまま黙り込み、満員の観衆すらハラハラさせた。プレーが終わっても、なお「頑張って!」と温かな声援を送られて、恐縮しきりで「スミマセン、モットニホンゴベンキョウシマス」。
参戦2年目の日本は「大好き」という。「街はきれいで、人は優しい。食事も美味い」。それだけに、3月11日は胸が痛んだ。地震と大津波が残していった大きな爪痕は、韓国でも連日、放映されない日はなかった。
そして今大会は、まさに被災地での開催を怖れ、出場を取りやめる海外選手も少なくなかった。でも、パクは言う。
「そんなの全然問題ない」。むしろ勇んで乗り込んだ。そうしてやってきた会場には人々の明るい笑い声が響き、この非常時にもむしろ、自分たち選手たちを支えてくれる、心優しい人たちが大勢いてくれた。
「スポンサーや関係者、そして地元のボランティアの人たちにも心からお礼が言いたい」と、ここだけは気合を入れて声を張ったチャンピオン。
「頑張って日本に立ち直ってもらいたい。そのために、出来ることは何でもしたい」。被災地に向けて、心をこめて呼びかけた。