Tournament article
ゴルフ日本シリーズJTカップ 2012
賞金王を育てた父。藤田寛之は「オヤジの言葉がなければ今はない」
当時、“学生王者”として君臨していたのは同い年の丸山茂樹。確かに、「マルは横綱でした」。藤田はまったく歯が立たなかったといっていい。
「丸山くんに出来て、なんでお前に出来ないんだ」と、寛実さんは憮然と言った。
「丸山くんに勝てないんだったら、もうお前、ゴルフをやめろ」。
厳しい父に、反抗したことなどそれまではほとんどなかった。しかし、このときばかりは負けじと言い返していた。「勝てないかどうかは、まだ分からない」。
そう突っぱねた日のことを、なつかしく思い出す。
勝っても、勝っても、勝っても、「よくやった」と言われたことなど一度もなかった。
勝って帰った日ですら、「あのホールのあのショットは、いったい何なんだ」と、文句ばかり言われた。
その父が、ゴルフのことに口出しをしなくなったのは、いつのころからだったか。
もちろん、今も面と向かって褒めてくれることはない。
しかしご近所さんや親戚に、息子のサインを頼まれたときなどに、父は嬉しそうに言うそうだ。
「息子が一流の選手たちと、肩を並べるくらいに成長してくれたことが嬉しい」と。
「自慢の息子だ、とか言ってるそうなんですよ、あのくそオヤジ」と、わざと息子は悪ぶった。
「僕にはそんなこと、一切言わないのにね」と、笑った。
「でも、僕の隠れ根性が強いのはオヤジのおかげ。オヤジの厳しい言葉が、僕を強くしてくれたのは間違いない」。
いきなりゴルフをやめろと無茶を言われたことも、「あのやりとりがあったから、今がある」と思える。「そんな自分に育ててもらって感謝している」。
大学を卒業して、藤田が「プロになりたい」と言い出したとき、親戚中に「食べていけるわけがない」と、猛反対をされた。
その中で、ただひとり藤田の味方になって、周囲を説得してくれたのが寛実さんだった。
いまはめっきり体が弱って、唯一観戦に足を運んでくれる地元福岡の「VanaH杯KBCオーガスタ」でも、酷暑の大会に今年は途中で気分が悪くなり、医務室に運ばれて2時間も、立ち上がれなかった。
「お前が1勝すると、俺の寿命が10年延びる」が、最近の父親の口癖だ。
「本当にそうであってくれたらいいのに」と、藤田は願う。
頑固一徹な父親も、今年は73歳を迎えて「僕の活躍が、何よりの生き甲斐になっているのは間違いないので」。
このツアー最終戦も、3連覇や賞金王がかかっているのを知らないはずはないが、最終日を前に電話をしてきて言ったことは、「お前、シーマはどうする?」。
安全を考えて、もうハンドルを握らないと決めているのに、なぜか息子が受け取る優勝副賞の「日産シーマ ハイブリッド」の行方を気にしている父。
あの米ツアー3勝の丸山でさえ、まだ賞金王に輝いたことはない。
息子がそれほどの栄光をつかんでも「オヤジはそんなことしか言わないんですよ」と、苦笑した。
「どうせまた報告をしても、僕には絶対に、大したことは言ってくれないでしょう」と、笑った。