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日本ゴルフツアー選手権 Citibank Cup Shishido Hills 2012
藤本佳則の初Vを支えた人々
トレーニングに目覚めたのは中学時代だ。当時はまだ身長160センチも満たないのに、体重は75キロもあった肥満児だった。
「兄貴に“お前も走ってみぃ”と言われて」。言われるがままランニングを始めたらみるみる痩せて、祖父が練習場を経営していたこともあって7歳から始めたゴルフにも、思いのほか成果が出た。体を鍛えること、に目覚めたきっかけだ。
それでもデビューしたての新人が、毎試合で専属のトレーナーを帯同するのは異例のことだ。
「将来を、見据えてのことだと思います」とは、飯田光輝さん。
飯田さんが、「来年から契約してもらえませんか」と、藤本に声をかけられたのは昨年12月。予選会の「ファイナルQT」の最終日だった。
プロ転向を機に、連戦でも耐えられる体が必要だった。
飯田さんは、ふたつ返事で応じたものの、内心は不安だった。「あまりのきつさに、ゲロを吐いていたこともあるので」。そうまでしても、もしも肉体改造が失敗したら。
「もしかしたら、俺のせいで体がまったく変わってしまって、かえってクラブがうまく振れなくなるかもしれない」。
高校時代にも、一時期そういうことがあったと聞いていたから、飯田さんの懸念はなおさらだった。
それでもとことん素直に藤本は、飯田さんが心を鬼にして作った過酷なメニューを黙々とこなした。そんなけなげな姿に「もし今年、ダメだったら俺が責任を取る」との飯田さんの悲壮な覚悟も、デビューからわずか5戦目の初Vに、あっさりと杞憂に終わった。
デビューを前にスイングも、いちから作り直した。今季から、阿河徹コーチについて「グリップから直した。プロにしてみればグリップを直すのは、かなり違和感がある。でも僕はそれほど抵抗感もなく、今はすっかり慣れてきたので。コーチのおかげです」と、感謝する。
技も、体も。準備も万端に迎えたこのデビュー元年は、開幕から専属キャディの前村直昭さんが支えた。伊澤利光のエースとして、数々の勝ち星をあげてきたベテランは「いつも笑顔でやらんとあかん」と、口癖のように言った。そんな前村さんにある日、藤本が尋ねた。
「ボギーを打っても、笑っていていいんでしょうかね。叱られないですか?」。
「ええやん」と、前村さんはあっけらかんと答えた。
「笑顔は大事や」と、前村さんは頑として説いた。
「いつも笑顔で頑張ろう」と一致団結して、ピンチの時ほど尚更おおきな笑顔を心がけた。
中嶋常幸と練習ラウンドを回ったのは先週。「もっとアプローチの引き出しを増やさないと」と言われて、さっそく転がして寄せる方法を習得する吸収力。
飯田さんが目を見張るのは、「自分への先行投資をいとわないプロ根性」だ。
前村さんは「気持ちの強さ」を指摘した。
「2週前の優勝争いでは緊張してピンしか見えていなかったが、今回はちゃんと回りをみて考えながらやっていた。たいしたもんです。良くやった」と、前村さんは褒めた。
「あいつなら今年はもう1勝も、2勝も出来るでしょう」と、予言した。
本人も「今年は年間2勝と決めていたので。あともう1勝はしたいです」。
規格外のヒーロー誕生だ。