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日本ゴルフツアー選手権 Citibank Cup Shishido Hills 2012

若きヒーロー誕生の裏舞台、宍戸のスーパー・キーパー軍団

本戦に入っても、2日目に雷雲接近によるサスペンデッドなどが重なり、コース管理のみなさんの苦闘が続いた
この1年の格闘を振り返るにつけても、なおさらチャンピオンの言葉が心に染みる。ツアープレーヤー日本一に輝いた22歳のルーキーが幾度も繰り返した。
「この難しいセッティングで勝てたことは、これからの大きな自信になる」。会場の宍戸ヒルズカントリークラブの三村幸男・総グリーンキーパーは、藤本佳則のこの言葉を感無量で聞き入った。

「本当にこの1年は緊張の連続でしたので」。苦労が報われた瞬間である。

大会用のコースメンテナンスはそれこそ毎年、最終日のホールアウトの声を聞くなり始まる。来年の開催に向けて、みっちり1年間をかけて、まさに我が子のように芝を育て、成長を見守り、手塩にかける。

その芝が瀕死の危機を迎えたのはこの冬。
特に高麗芝には、ことのほかダメージを与える氷点下の天候が続いた。
「雪が降った上に、マイナス8度という日もあり、地面が凍結してしまったんです。そうなると、芝が枯死してしまう恐れがありました」と、三村さんは振り返る。

今年は、同コースでの開催が10年目を迎える記念の年に、失敗など絶対に許されなかった。しかも第4回からこの地に今大会を招致して、長年にわたり心血を注いで来られた森ビル株式会社の社長の森稔さんが今年3月8日に他界され、なおさら森さんの遺志を、ここで絶やすわけにはいかなかった。

近隣の姉妹コースの静ヒルズカントリークラブのスタッフ15人を急遽、会場となる宍戸ヒルズカントリークラブの要員に加えて、昼夜問わず、休日も返上で管理にあたる日々が続いた。

しかし、三村さんたちの苦労をあざ笑うように、春の訪れは一進一退。
毎年、ちょうど梅の花が咲く頃が、芝が芽吹き始める合図という。
「しかし、今年はその梅がなかなか咲かない」と振り返るのは、宍戸ヒルズカントリークラブの乙野圭司・グリーンキーパー。「結局、今年は梅と桜が同時に咲いた」。
つまり4月も半ばを過ぎるまでは、苦肉の作業もほとんど、成果をあげられなかったということだ。

遅れを穴埋めしようにも今年は天候不順で幾度もゲリラ豪雨に見舞われるなど、試練は続いた。
まして、今年は数ホールでコースの改造が予定されていたから、三村さんたちスタッフのプレッシャーは、相当なものだった。8番のティーインググラウンドの新設など、ようやく作業に取りかかれたのは開催まで2週間を切ったころだった。

毎年、120ミリを越えるラフが選手たちを苦しめる。
今年も、どうにか十分な長さには到達したものの、成長が悪いために「ラフに密度がない」。その点が三村さんたちの懸念のひとつだった。選手たちが「例年ならもっとフライヤーするのに、今年は思いがけず飛んでしまうときがある」と感想をもらした。それがゆえんだ。

グリーンもなかなか思うようなスピードが出せず、三村さんらの格闘はぎりぎりまで続いた。
試行錯誤の末に、開幕直前にようやくスティンプメーターが、ツアー側が希望数値として提示していた12フィートを記録したときの三村さんたちの喜びと安堵は、計り知れない。

開催前からスタッフの疲れはピークに達していた。それぞれの体調管理もままならない中で、「管理部が一体となって、目標に向かって最後まで頑張ってくれたと思う。だから無事、大会が終了できた」と、三村さんは言う。

三村さんたち宍戸のみなさんの努力が、選手たちの最高のパフォーマンスを引き出した。三村さんたちが、精魂込めて仕上げた舞台で今年も新たなヒーローが誕生した。
「今年も素晴らしいゲームでした。それが何より私たちの喜びです」。

表彰式の喧噪も過ぎて人もまばらになり始めた18番グリーンで、三村さんと乙野さんは、慈しむようにグリーンを撫でた。
・・・と、互いに少し顔を曇らせて「かなり乾いてしまっている・・・」。今すぐにでも、手をかけ修復する必要がある。三村さんらの無理難題に、限界ギリギリまで応えてくれた芝が悲鳴を上げていた。「明日から、また戦いですね」。
三村さんも乙野さんも観念したように、2人で顔を見合わせて笑った。
  • 大変な仕事だけれど、助け合い、支え合う。チームワークがあるから頑張れる!!
  • 宍戸のスーパー・キーパー軍団。きっと森さんも、宍戸のどこかでみなさんの苦闘を見守っておられたはず・・・。
  • スタッフをとりまとめるのはこの2人、乙野さんと三村さん(下の写真とともに、左から)
  • 大会は成功裏に終わったが、息つく間もなく「また明日から戦いです」。早くも来年に向けて始動だ。

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