Tournament article
アジアパシフィックオープンゴルフチャンピオンシップ パナソニックオープン 2012
小林正則が、5代目のアジア太平洋地域のNO.1に
しかし、一度は諦めた。3つ後ろで回る小田孔明と、首位タイで迎えた18番パー5。「孔明も最後ぜったい入れてくる。俺も」と、小林も最後の勝負に出た。126ヤードの第3打でサンドウェッジを握った。「池ギリギリ、限界の距離」。ピンそば80センチにつけた。絶好のバーディチャンスにつけた。しかし外して「頭が真っ白。もうだめだ、と」。どうにか気を取り直して返しのパーセーブは決めたが、負けたと思った。顔をしかめて引き上げた。
その数十分後に今度は笑顔で、再び18番グリーンに上がって嬉しいやら、驚くやら。
17番でボギーを打って、1打後退した小田が最後の18番で池ポチャのパーに終わった。さらに最終組の上平栄道が16番から連続ボギーを打った。たとえ18番がイーグルでも追いつかない。上平が2打目を刻んだ時点で小林の2勝目が決まった。「信じられない・・・!」と、何度も目を剥いたのも無理はない。
実は先週まで4試合連続の予選落ち。今週になっても初日は、ほとんどビリっけつ。「パットが入らない。短いのを全部外す」と14番までに、6オーバーを打った。胃がきりきりと痛んで棄権も頭をよぎった。「ゴルフのストレスかな」と、脂汗をひそかに拭きつつ、そのあと3つのバーディで盛り返しても、出場132人中110位タイのスタートは当然、予選落ちも覚悟した。
それから怒濤の逆転劇だ。2日目に64をマークして、25位タイで決勝ラウンドに進むと、3日目は67で回って15位タイ浮上に「初日の15番からここまで盛り返して来られた。上出来でしょ。欲を言ったらきりがない」と、満足するにはまだ早かった。
なんと、最終日は前半のハーフで28を出して、9ホールのツアー最小スコア記録に並んだ。9番は2.5メートルのイーグルを奪って単独首位に踊り出た。それから小田との激しい一騎打ちを制した。
初日110位タイからの優勝は、2001年のダイヤモンドカップで116位から大逆転Vを飾った伊澤利光に次ぐ記録だ(※)。その原動力になったのが、この「アジアパシフィック パナソニックオープン」が、アジアと日本の両ツアーの賞金ランキングに加算されるということ。
今年、アジアと日本の掛け持ち参戦は、36歳からの新たな挑戦。日本で稼げない時期のスポット参戦は今までにもあったが、今年は予選会のQスクールを受験して、正式に選手登録を済ませた。「今さら海外なんて。本音は面倒くさいよ。億劫だよ。でも出れば何かしら得るものがあると思った」との思惑は当たった。
すでに開幕していた日本ツアーを、あえて1試合スキップして挑んだ4月のインドネシアンマスターズで、リー・ウェストウッドと同組になった。「たまたま決勝ラウンドが中断して。最終日も組み替えなしで回った。次元の違うものを見た。俺とは何もかもが違っていた」と、現在世界ランク4位のゴルフに度肝を抜いた。
昨年は「とおとうみ浜松オープン」で、プロ14年目にして悲願のツアー初Vを上げてもなお「どうせ俺なんか」が口癖だった男がアジアでのそんな経験も糧にして、「これからは俺も、もっと堂々とプレーしよう」と、強い気持ちも芽生えてきた。
「今年は、アジアと日本でシード権」を目標に掲げたからには、今大会でこそ尻尾をまいて帰るわけにはいかなかった。
昨年覇者は、平塚哲二。2009年は丸山大輔。いずれもアジアで経験豊富な選手が勝者に名を連ねる今大会で、その丸山に「今年は小林あるかもよ」と言われて「まさか」と笑って否定したことが、いま現実となった。
18番グリーンの表彰式で、この日一番のガッツポーズは優勝副賞を受け取ったとき。大会主催のパナソニック製のスチームオーブンレンジとアイロンを、つい先日購入したばかりだった。しめて5万円の出費は、その直後に優勝賞金3000万円と、400万円相当のパナソニック製品一式を受け取って「買ったあとに勝つなんて。信じられない!!」。
嬉しい悲鳴を上げた花の独身男は「これで準備は整った」と、あとは、嫁の来てを待つばかりだ。
※大逆転優勝記録のトップ3(記録が残る1985年以降)
1位 伊澤利光 初日116位タイから(2001年ダイヤモンドカップ)
2位 小林正則 初日110位タイから(2012年アジアパシフィック パナソニックオープン)
3位 黄重坤(ハンジュンゴン) 初日94位タイから (2011年〜全英への道〜ミズノオープン)