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日本プロゴルフ選手権大会 2018
稲森佑貴は原点の大会で「いじめられるほうが僕は好き」
「今年は房総でやると聞いたときには、まじかと思った」。
会場の房総カントリークラブは15年まで、今大会主催のPGAと、我々JGTOの共催で、旧チャレンジトーナメントの「PGA・JGTOチャレンジカップ in 房総」を開催していたコースでもある。
稲森も、デビュー年の12年から3年連続で出場しており「ここで悔しい思いもしてきたので」。
特に、忘れられないのは13年大会だ。
3日間競技の最終日に2位と2打差の単独首位で出たが、当時は今のような我慢戦ではなく「伸ばし合い。1個のボギーが致命傷」と、逆転負けを喫した。
当時はまだ19歳。「女子かっていうくらい。飛距離も出ず、まだひよっこでした」。
それでも翌年14年に、シード選手の仲間入りを果たすと着々と実力をつけてきた。
15年に初獲得したフェアウェイキープ1位の座はその後昨年までの3年間、まだ誰にも空け渡していない。
旧知のコースはその後、3年の時をかけて大改造が施されて、総距離7324ヤードと生まれ変わったが、日本一曲げない男も、その分たくましさを増していた。
この日も、難条件下で「ラフに入れたのは2回だけ」と、安定したショットでアンダーパーを記録。
「あの頃より飛距離も30ヤードは飛ぶようになったので」。
シビアなピン位置も、強い風にもひるまずむしろ、「風と仲良くなること。時には風とケンカもすること」としたたかに、「みんなが苦労してくれたほうが僕も頑張れる。グリーンも、カチカチになれば最高。コースにいじめられる方が僕は好き」。
16歳の2012年に、今大会主催のPGAが実施する「PGA資格認定プロテスト」に一発合格。その年の「日本プロゴルフ新人戦」では優勝を飾り、翌2013年には今大会でプロデビュー戦を果たした。
このプロ日本一決定戦は、いわば原点。
2週後に、兵庫県のジャパンメモリアルゴルフクラブである全米オープンの最終予選もエントリーを済ませた。
ドMの男はこう見えて、海外志向もハンパない。
「アメリカでも欧州でもどこでも。複数年シードをもらって行ければそれが一番理想的」。
そのためにも悲願の初勝利が、5年シードのメジャー戦なら言うことはない。