22歳の1995年にプロ転向し、来年1月には50歳になる。
プロ27年間で、ツアー通算31勝。賞金王は5度。
「自分でもここまでできるなんて思ってない。10勝もできればいいほうで、こういうプロゴルファーになりたいな、と思っていたよりは4,5倍も幸せですよ」と、噛みしめる。
1997年の初シードから25年。98年には、胸部椎間板ヘルニアの手術を受ける選手生命の危機もあった。
「四半世紀…。体だってこんなだし、よう頑張ってるね」と自分をしみじみ褒めていた。
27歳の2000年には最大約6504万円差もあった終盤4戦で3勝する大逆転を演じて初賞金王に。
当時、20代のキングは史上18年ぶりの快挙だった。
「今では当たり前のように若い子が獲るけど、僕らのときは考えられないと言われたから」と、回顧し「そういう、経験した者にしか分からないことを、いっぱい教えてあげられる。聞かれたら、それこそ120点くらいの回答ができる。いつでも聞きに来てって」。
広げたレジェンドの両腕に、飛び込んできた一人が今季、賞金王に就いた比嘉一貴(ひが・かずき)だった。
「彼の力なら、もっと勝てるはずなのに、勝てない理由を何個か」と、授けた途端にこのありさまだ。
「カズキはなんでも聞きにくる。だからますます伸びる」と、まだまだ期待しているからこそ厳しく言う
「まだ1回でしょ? 1回はあるよ。そこからいかに長く続けられるか。世界にも行って、扉をいかに開くか。これからだよ」と、戴冠直後に言い聞かせていた。
「今の若い子はみんな上手いよ。上手いけど、世界にはそういうのが腐るほどいる。そこからいかに知恵をつけるか。年齢もいく。その中で、いかに長続きをさせるのか。自分ができなかったことも含めてそういう方法ならいくらでも教えてあげる」と、質問は受け付けられても、今の自分の質問に答えてくれる人はもはやレギュラーには誰もいない。
「シニアで一番になるためにはどうしたらいい??」。
来季“デビュー”を控えて聞きたいこと、解明しておきたいことも夢も一杯。
「今度はアメリカのシニアで一番になって、日本では、プロシニアとシニアオープンを獲る」。
目標は、レギュラー、シニア合わせて日本と名のつくタイトルすべてを唯一保持する中嶋常幸だ。
レギュラーツアーではもちろん、ジャンボ尾崎の記録更新。
最長の連続シード32季越え。
「それは…うーんと、あと7年も? シニアも出て、試合数は減るわけだし、それはちょっと厳しいよね」と笑ったが、今も昔も天才的創意工夫の男のことだ。
これからまだまだ、何をしでかしてくれるのか。