1993年にプロ転向し、最初にVチャンスを迎えたのは96年大会。
あのジャンボ尾崎とプレーオフを戦い2位だった。
リベンジは10年後。待望の地元Vで芥屋を沸かせたのは2006年。
「一度はここで勝たなければ」と、律儀に期待を背負い続けて掴んだツアー通算4勝目(現在8勝)だった。
その後、欧州ツアーに参戦した2007年を除いて、出場28回を数える。
悔しさも喜びも詰まっている本大会が、今年50回目を迎えるという。
主戦場のシニアツアーは今週「マルハンカップ 太平洋クラブシニア」と大きな試合が重なったが「推薦をいただけるということで、来ました」と、迷わず決断。
予選2日目のこの日は、2アンダーの38位タイから出て、前半2番、4番と7番でボギーが続いて、一度は予選通過の希望を絶たれかけたが、後半3つのバーディで挽回。
「よく知っている地元のコースなので」と、地の利を味方に、6月の「JAPAN PLAYERS CHAMPIONSHIP by サトウ食品」に続く今季2度目の決勝ラウンドに進出すると、駐車場のマイカーで、プレー後日課の仮眠をして、午後2時45分からたっぷり丸2時間。
地元KBCローカルで生解説。大会の盛り上げに一役買った。
仮に予選落ちなら、土曜日の生中継(14:00~14:30 KBCローカル、14:30~15:25 全国テレビ朝日系列)でも放送ブースに喜んで入る約束もしてあったが、残念ながらというか、週末は本来のプレーで記念大会に華を添えることができる。
それでも、律儀な男は「明日、ハーフでやめて喋りましょうか?」と、冗談か分からないような口調で言って、ディレクターさんが慌てていた。