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中日クラウンズ 2023

つかみ所がなくて、とりとめがないようでいて。岩田寛の世界

一昨年ぶり2個目の王冠トロフィーを掲げた岩田寛は「重くて、いま腕に力が入らない」と、V後の第一声を述べた。


精一杯の笑顔です


最終日に着た青色のポロシャツは、2着目のVジャケットに合わせて選んだか、と問われて「半分ありました」と、否定はしなかった。


名古屋は、ご両親の出身地。
とりわけ、名古屋ゴルフ倶楽部和合コースは父で師匠の光男さんのデビューコースであるという。

「去年、終わってから知りました。早く言ってくれればいいのに」と、分かったのは連覇を狙って3位に終わった昨年大会後だったが、「縁がある」と、噛みしめる。


初日の13番パー3でホールインワンを達成し、トヨタクラウンを獲得した田中裕基と。


大会複数回優勝は、日本人としては青木功と、ジャンボ尾崎(共に最多の5勝)と片山晋呉(2勝)に次ぐ4人目(1973年のツアー制度施行後)。
「光栄ですけど、お三方とも偉大すぎる。自分はまだまだ」と、恐縮していた。


そもそも、スケートボードのプロになろうとしていた岩田が、14歳でゴルフに転向したのは、光男さんの叱責を逃れるためだった。
気の置けない仲間内では饒舌でも、コースに出ると途端に寡黙になるのも、光男さんに「感情を出すな」と、高校時代に言われたから。


「笑顔も、ガッツポーズも自然と出るもの。全然出ないから、このままです」と、本当はしたくはないけど「回りには、しろと言われるので」。最後だけ、無理に両腕を突き上げたが「ダサかった・・・」と、自分に失望していた。



祝福に駆けつけた大堀裕次郎(おおほり・ゆうじろう)は昨年、岩田にパットの指導を受けてABEMAツアー賞金王に。
大堀によると、岩田はさまざまな処方箋を持っており、相手に応じて一番合うアドバイスをしてくれるそうだが、本人曰くは誰にも安売りするわけでもないらしい。

「本当に悩んでいるんだ、と思った人には教えます。でも、確認作業みたいに聞かれたときは、そのままでいいんだよ、自信を持っていけと言います」と、明かすがそれもまた親切心には違いない。


自身は、23歳から使う2ボールパターを今も愛用中。
「上げやすくて、ずっと使っている」と今年は平均パット1位を走り、この日も、3~5メートルをぽこぽこ沈めて大量逆転。

勝機に挙げたのは、2メートル強をしのいだ13番の下りのスライスラインだ。
「4打差あったんですけど、1個ボギーを打ったらずるずる行ってしまう」と、窮地でこそ巧者を発揮した。


今オフ、アジアンツアーでサウジ→オマーン→カタールと転戦したが3戦とも予選敗退した。
「ショックすぎて、体調も崩して、コロナではなかったけど帰ってから熱が出て。開幕しても良くなかった」と、ふさぎ込んだが先週の「ISPS HANDA 欧州・日本どっちが勝つかトーナメント!」で「腹を立てたり落ち込むのをやめました」と、無の境地を体得して4位に。

「それが今日まで続いてました。でも、明日になったらわかんない」と、気の向くまま。


3日目の3番でダブルボギーを叩いたが、こらえて復活。
「大人になった部分もありますけど、いつでも子どもに戻れるので不安です、自分でも」と、V会見でもにやにやしていた。


これで通算5勝のうち、3勝が40代になってから。
尊敬する選手として挙げるのも、ジャンボ尾崎やビジェイ・シン、藤田や谷原ら、40代以降ほど勝ち星を重ねた先輩ら。
「若手若手もいいですけど。ベテランも応援してください」と、岩田なりに昨今の台頭にあらがう。



最終組で回った蟬川泰果(せみかわ・たいが)は20歳差の大学後輩。
1番から4連続バーディを奪った蟬川の猛ダッシュをかわし、「ちゃんと蟬川くんと喋ったのがきょう初めて」と対話も交わして、「可愛い後輩です。今日、終わったあとに奢ってください、と言われたので。もう1回言われたら奢ります」と、約束した。


今回、蟬川のバッグを担いだ進藤キャディは、岩田と大学同期。一度、岩田とも組んだことがあるそうだがあまりに仲が良すぎて仕事にならないと、即解消したそうだ。



つかみ所がなくて、とりとめがないようでいて、知れば知るほどハマるヒロシワールド。

でも、専属トレーナーさんが明かすヒロシは40歳を越えた今なお試合中も毎朝のトレーニングを欠かさない努力家で、「今までゴルフで手応えを感じたことがない」と、言い切る底なしの求道者でもある。


おめでとうございます

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