4日、男子ゴルフ競技の最終日はとにかくうれしくて、泣きに泣いた。
「僕がやったことじゃないんですけど、今回は非常にメダルへの執着心を感じて…」。
毎日、コースのクローズ時間ぎりぎりまで練習に明け暮れていた松山の姿。
「気迫は東京と変わらなかった」と、日々の努力も含めて称えた。
練習ラウンドでは不調を訴えながら、「それでも本人はなんとなく、集中力と意欲だけでかみ合った、と」。
初日いきなり8アンダーで回ってきた底力にも改めて目を見張る。
「見てるほうからすればあと1、2個入ってシェフラーとのプレーオフはやらせてあげたたかったかな…」という思いは当然、丸山にもあるが、しかし、5メートルのダブルボギーパットを沈めて首位に踏みとどまった2日目の最終ホールや、シャウフェレや、ラームやマキロイですら無残に崩れた最終日のバックナインで見せた粘りと攻め続ける姿勢。
「ほんとあなた凄いねというのは改めて感じた」と、パリでの残像を、そのままヨコハマに持ってきた。
今週は、丸山が主催者のみなさんと力を合わせて昨年の第1回発足に尽力した試合だ。
「影響を受けてもらいたい」と、出場選手に奮起を促す。
「自分たちにもできる、そこに届くという気持ちを持ってもらわないと、松山英樹があそこまで活躍した意味がない。後に続いてほしいと松山英樹も思っているわけだから。自分には、無理と思って欲しくない。夢はいくらでも大きくていい」と、銅メダリストの思いを代弁した。
「ゴルフは他の競技と違って、自分たちのチームがありますから。コーチではないわけですから、監督といっても見守るだけの監督。雰囲気を盛り上げるくらい」と、今回も黒子に徹したそうだが、もう一人の代表の中島啓太が最終ラウンドを出る前にひとことだけ言ったのは、「65か75か。死ぬか生きるかくらいの気持ちでやってこい、と」。
丸山によると、中島は満身創痍だったそうだ。
「最後のホールはラインも読めないくらい。腰がよくなくて背中一面テーピングを張っていた」と、状態を代弁する。
最終日は自己ワーストの「74」で49位に終わったが、練習場ではあの松山が「どうしてそんな高い球が打てるの?」などと、中島の高いポテンシャルを羨ましがっていたそうだ。
「本人は、準備不足と悔し涙を流していましたけど、それも必ず彼のゴルフ人生で大きな糧になる。絶対にあの位置にいってやるというのを、まだ24歳で実感できたのは幸せですよ」と、若き代表をねぎらった。
昨年大会の優勝で、賞金王へと駆け上がり、今年は主戦場の欧州・DPワールドツアーを初制覇した。
中島の後に続く選手たちにも丸山は期待を寄せる。
「若い選手はみんな非常にノリノリなので。今週は選手全員に優勝争いに絡んでもらいたいなという気持ちです」。
先週の五輪代表監督から、今週は大会のアンバサダーとして。米ツアー3勝のレジェンドは、変わらず選手たちを見守り続ける。