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中日クラウンズ 1999
『中日クラウンズ』の歴史
同時に、スポンサー競技としては初の、ゴルフトーナメント全国テレビ中継に踏み切った大会として知られている。
おりしも日本では、霞ヶ関CCで開かれた『カナダカップ』で中村寅吉が、小野光一と組んで出場した団体戦と個人戦のダブル優勝を果し、第1期ゴルフブームと騒がれていたとき。
それでもまだ、今日ほどゴルフが完全に大衆に浸透する前の時代のことで、テレビ中継では「バンカー」や「グリーン」、「バーディ」や「パー」など、基本的なゴルフ用語から、根気よく解説を加えていかなくてはならないなど、いまでは考えられない苦労が多々あったという。
第1大会は、アマチュア12人、プロ42人が出場。
中村寅吉が、『カナダカップ』でパートナーを組んだ小野光一を1打差で下し、初代チャンピオンに輝いた。
「中日クラウンズ・ゴルフトーナメント」と改称して開かれた第7回大会(昭和41年)では地元プロの内田繁が優勝し、これを契機に中部地方にゴルフブームが沸き起こった。
翌第8回大会からは「国際招待試合」と銘打ち、以来、年を追うごとに海外一流選手の出場が増え、国際色豊かなビッグトーナメントとして成長していった。
歴代優勝者には青木功、尾崎将司など国内ビッグネームはもちろん、海外ではオーストラリアのグレッグ・ノーマン、スペインのセベ・バレステロス。
昨年は、メジャー・チャンピオンのデービス・ラブⅢが優勝するなど、『国際招待試合』の名にふさわしい選手が名を連ねている。
今年は記念すべき第40回を迎え、ますます華やぐ会場で、メモリアルVをとげるのは、いったいどの選手だろう。