Tournament article
ファンケルオープンin沖縄 2000
「ウィニングボールはオヤジに…」
そして賞金王、片山晋呉
18番グリーン。3メートルのパーパットを打つ瞬間、「お父さん!!」と、思わず心で叫んでいた、と片山は打ち明けた。
小さいころから、父・太平氏に手ほどきを受けて片山は、トップアマへと成長していったのだ。
その恩人が肝硬変で亡くなったのは、97年6月のことだった。
そのすぐ翌年春、片山自身が胸部の椎間板ヘルニアにかかり、選手生命の危機もありうる大手術もあった。それら苦難を乗り越えて、ツアー初Vを挙げた涙のサンコーグランドサマーは、ファンに感動を与えたものだ。
あれから4年。賞金王になるまでに成長し、父に報いた。
「オヤジが亡くなって以来、母と妹は俺が支えなくちゃ、という気持ちでこれまで頑張ってきたんです。その気持ちが、僕の原動力だったんです」
キングの座を射止めたウィニングボールは、そっとポケットにしまった。「これはオヤジに…」。そのかわり、最後まで応援してくれたファンには、この日使ったボールをスタンドに投げ入れて、感謝の気持ちをこめた。
ほおり投げたそのボールは、天国まで届かんばかりに、高く弧を描いていた。