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中日クラウンズ 2004

45回連続出場の偉業達成でこの日、主催者から表彰を受けた杉原輝雄は・・・

「実は開催前からものすごいプレッシャーでした」
45回連続出場の偉業達成でこの日、主催者から表彰を受けた杉原輝雄は・・・
45年の歴史で、もっとも印象深かったゲームは?と聞かれて、迷わず負け試合をあげ るあたりがいかにもドンらしい。1975年の16回大会。最終日のフロント9で首位に立 つも、後半ホールで立て続けにボギーを打って、青木功に逆転されたときだ。
「あれは僕のボギーのおかげで、面白いゲームにはなったけどね。今でも思い出す と、悔しくなるなあ・・・」と、遠い目をした。
実は今年、今大会開催の一週間前に主催者から、「第1回から45回連続出場をたたえ て本戦で表彰したい」との打診を受けていた。それからは、自身の偉業達成を強く意識するとともに、「ご好意を絶対に無には したくない」との思いから、風邪や故障などしないよう、よりいっそう体調管理に気 を配った。
「この大会は、若いころから 『プロなら一度は出てみたい』とみんなが目標にして きたビッグトーナメント。こうして表彰していただく年に恥ずかしいプレーはしたく なかったし、まして欠場なんてもってのほかですから」。
そして迎えた開幕前日の水曜日は、「明日、ちゃんと1番でティショットができるだ ろうか・・・という不安。ものすごくプレッシャーがかかってました」と、打ち明け る。
記念のトロフィーと、賞金45万円の贈呈セレモニーも、実は水曜日のうちに行われる 段取りが決まっていた。が、本人からの希望で、きゅうきょ変更。
「とにかく、1番のティショットを打ち終わるまでは、受け取るわけにはいかない、 と思ったんです。いただいておいてハイ棄権しました、では申し訳が立たないですか らね」と丁重に断っていた。
結局、74で初日の競技を終えたあと、大会実行委員長の夏目和良・中部日本放送社長 から改めてトロフィーと45万円を受け取ったドン。
「プレーにもスコアにも満足していないが、とにかく、初日を無事終えることができ てほんとうによかった」と、万感の思いでこの45年間を振り返った。
次なる目標は、「連続50回出場」だ。そのとき、満72歳。飛距離にこだわった長尺ド ライバー片手に、コースを縦横無尽に走り回る姿には、それさえも実現させてしまい そうな勢いがある。

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