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日本オープンゴルフ選手権競技 2005

片山晋呉5打差からの逆転劇

5打差の8位で迎えた最終日は、スタート前からチャンスだと思っていた。
その日の朝刊に、自分のことを記した報道はなく「完全に、ノーマーク」。
この難コースでは、上位の選手がけん制しあう合間をぬって、浮上することも可能と読んだ。

そんな筋書きの逆転劇は、7番のパー3から始まった。
「2メートル以上は切れる下りスライス」。これを見事に読みきって、火がついた。

12番で、第3打をピンそば30センチにつける「最高のバーディ」を奪って首位を捉えると、14番では「絵に描いたような完璧なティショット、セカンドショットが打てた」。
いよいよ、逆転に成功した。

再び並ばれ迎えた213ヤードの17番パー3は「今年一番のティショット」。
フェアウェーウッドで手前1メートルにピタリとつけて、もう一度、突き放す絶好のチャンスが来た。
最終18番も、やはり同じような距離にバーディチャンスをつけながら決めそこねたが、それでも落胆はしていなかった。

「それが日本オープン」と、分かっていたから。
「これまでの歴史を見ても、簡単には勝たしてくれないのはわかっていたから。それに、あのバーディパットは弱気で外したわけじゃない」。

そう言い聞かせてクレイグ・パリーと、4つ後ろの最終組の川岸のプレーを待ったのだが、さすがの片山も気が気ではなかった。
実際は30分程度が、1時間以上にも感じられた。
長い長い時間だった。

「今まで、相手の結果を待って勝ったことがなかったから」。

こんなとき、どうやって過ごせばいいのか分からない。
プレーオフを覚悟して練習場に向ったが、落ち着かない。

「練習しといたほうがいいのか、悪いのか・・・」。
そんな判断さえ付き兼ねていたときに、親切なギャラリーが差し出してくれたテレビ付きの携帯電話。
小さい画面に目を凝らし、その後のゲーム展開をただただ見守るしか時間をつぶす方法がなかった。

1打差でやってきた川岸が、18番で奥からのアプローチを2メートルもオーバーさせた瞬間、思わずヒザから倒れこんだ。
「待ちに待った今季初優勝が、日本一のタイトル」。
その喜びに、男泣き。

98年の初優勝から毎年1勝以上をあげて、勝ち星の間隔も1年以上空いたことがなかった。
昨年、自身2度目の賞金王の座についたあとも、「次はいつ勝つの?」と言われ続けた。
夏ごろからようやく、「ショットが曲がらない。常にピンを刺す状態」。
兆しが見え始め、7月のウッドワンオープン広島から8試合で12位より落ちたことはなかった。

この2ヶ月間というもの、高いレベルで好調をキープして、「いつ勝ててもおかしくない状態」。
満を持して迎えた日本オープンで、・・・しかも廣野でもぎ取った、ツアー通算17勝目の価値は、計り知れない。

「僕の体に刻み付けられたこの感動を噛み締めながら、これからも選ばれた人間として恥ずかしくないゴルフがしたい」。

この優勝で、6年連続で獲得賞金は1億円を超えた(海外での獲得賞金を含む)。
賞金ランクも、2位に約2500万円差をつけて1位をキープ。
過去、2年以上続けて賞金王の座についた選手は、98年のジャンボ尾崎を最後に3人だけだ。
この偉業に自分の名を刻むことが、年頭から掲げた片山の目標だった。

これから残り7試合、「死に物狂いでやります」。

ドラマは、ようやく始まったばかりだ。

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