Tournament article
中日クラウンズ 2006
田島創志(たじまそうし)が単独首位スタート
課題のショットに加え、パッティングが冴え渡った。
6番で10メートルものバーディパットが決まった。
7番パー3では、5メートルのパーセーブ。
「距離がそんなにあるわけではないのに、誰もが苦しまされるコース。選手の総合力が試されるここ和合で、ボギーなしで回れたことが嬉しい」。
単独首位スタートに胸を張った。
昨年の今大会だった。初日を終えて向かったパッティンググリーン。青木功がやってきて、頭をポカリとやられた。
「それじゃオメエ、入らないだろう」。
そう言って、不振にあえいでいた田島に、とっておきの“秘策”を教えてくれた。
「・・・実は、それは自分としては、絶対にやりたくなかったことなんです。それでも頑張って、青木さんの言うとおりにした。そしたら、次の日から入るようになった」という。
具体的に、青木のアドバイスがどういうことだったのかは、固く口を閉ざした。
「だって、言ったらみんな入るようになっちゃうから」。
“企業秘密”は「・・・ウッズや、ポーラ・クリーマーを見れば分かるよ」と、ヒントを出すだけにとどめた。
2003年にツアー初優勝。
しかしその直後から踏み切ったスイング改造で、かえってスランプに陥った。
「ショットは曲がるわ、スコアは悪いわ、パットも入らないわ・・・。三重どころか四重苦。まるでゴルフのデフレスパイラル」。
翌年の賞金ランクは103位まで落ち込んだ。
片山晋呉が憧れだった。
「シンゴさんみたいなショットメーカー目指して頑張ったけど・・・」結局、挫折。
いざ元のスイングに戻そうとしても、しばらく悪いイメージを引きずったまま苦しみ続けた。
「死ぬほど球を打つこと」で、ようやく見え始めた出口。
「形は気にせず、狙ったところに打てればいい」と割り切ることで、復活の兆しも見え始めた。
「いまはゴルフが楽しいし、もう大丈夫。優勝できる準備はできた」といえるほどに自信も回復している。
「いまやるべきことは、コースとの駆け引きの中で、自分の攻め方を貫くこと」と田島。
「“職人”ゴルファーってことを印象づけたくて」、かぶりはじめたハンチング帽。和合での通算2勝目で、片山のテンガロンハットに次ぐツアーの名物としたい。