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ゴルフ日本シリーズJTカップ 2009
丸山茂樹が単独首位に
その中で、3つスコアを伸ばして単独首位に躍り出た丸山が、分析した。
「1年間で好成績を上げてきた選手たちなのに、ベストスコアが3アンダーしか出せない」。
その要因は479ヤードパー5だった4番が、97年からパー4に(現在は514ヤード)。
さらに翌98年には500ヤードの11番が、同じく距離の長いパー4に変わった。
イージーバーディも望めた2ホールがなくなった。
むしろパーセーブも精一杯という難所に変わったことが、スコアに大きく影響していると丸山は説いた。
「選手というのは貯金があると、攻守をうまく計算出来る」。
しかし一転、今度はそこでボギーとなると、「借金を取り戻さなくちゃいけなくなる」。
追い詰められると、欲をかいて難しいピン位置でも無理に狙ってかえってミスをしたり……。
確かに、強い風がこの日も吹いたがそれ以上に、この2つのパー5の消滅が、大きな鍵を握っていると丸山は言うのだ。
だが8年ぶり8度目に舞い戻った97年大会のチャンピオンは、様変わりしたこの大舞台でも、戦い方を見失っていない。
「ここは我慢と攻めと、両方が必要とされてくる」。
どこに打てばチャンスにつくか。
ミスしても、どのポジションならリカバリー出来るか。
東京よみうりCCのゲームプランも、脳裏に刻み込まれている。
初出場を果たした93年の2位から始まって、「ここは出ればトップ10入りしかないから」。
過去7回の出場で、優勝1回。2位が2回。4位が2回。
99年と2001年の2度の7位が「最低順位」だ。
「ここは非常に頭を使うコースだけれど。ゴルフIQは、けっこう高いですから。そのへんは上手いと思います」と満面笑みで、胸を反らせた。
米ツアーから本格復帰して1年目。
「今年は初の賞金王を狙います」と公言してシーズンは幕を開けた。
しかし、アメリカから持ち帰ったドライバーイップスが、足かせになった。
どとまるところを知らないヘッドの大型化に悩み抜き、5年前に使っていた350CCの古いクラブを引っ張り出してきたのが9月。
さらに、パンチショットの要領を加えることで、特にダウンスイングで感じていた「電気のような痺れ」もウソのように消え去った。
終盤には「これで終わっちゃうのが寂しいくらい」と笑い飛ばすほど好調を取り戻し、たびたび優勝争いにも顔を見せた。
満を持して、無類の相性の良さを誇るこの最終戦で、日本ツアーで10年ぶりとなる通算10勝目のチャンスを迎えた。
「……しかし、ここのアップダウンはこんなにきつかったかな?」。
40歳を迎え、ここ東京よみうりCCの急な坂道だけは、記憶が途切れていたようだったが、勝負は3日目。
「明日、終わっていいところにいられれば、だいたいどのくらいで、という数字は頭にある。明日は、そこに出来るだけ近づけるように。良いプレーがしたい」と、4日間の組み立てもすっかり頭の中にある。