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ダイヤモンドカップゴルフ 2010

金庚泰(キム キョンテ)が日本ツアー初優勝

日本で初めてのウィニングパットを決めて、控えめに握ったガッツポーズ。その人柄と同様に、淡々と静かな優勝シーンは代わりに家族や友人たちが、賑やかなものにした。

その首にむしゃぶりついて、溢れんばかりの歓喜を弾けさせたのは、母の曺福順(チョ・ポクスン)さん。その肩を優しく抱き寄せ、グリーンを降りてきた。
と、今度はチャンピオンに、母国の友人たちが手荒い祝福だ。

頭から盛大にビールのシャワーを浴びた。アマチュア時代も含め、韓国のツアーではすでに4勝の経験があるが、「こんなふうにお祝いされたのは、初めてです」と、思わず悲鳴を上げた。「びっくりしたけど嬉しいですね」と、ずぶ濡れ姿で感謝した。

「金が勝つのは時間の問題」と言われてきた。しかし、本人はひそかに悩みを抱えていた。

2007年のプロ転向から、日本ツアーでは2位が5回。再三、優勝争いに加わりながら、あと一歩で届かない。無類の強さを誇った韓国ツアーでも2位が続いて「もう僕は勝てない選手なのか・・・・・・」。
一番悔しかったのは昨年の12月だ。最終日を2打差の単独首位で迎えた「ゴルフ日本シリーズJTカップ」は、プレーオフ4ホールの末に、丸山茂樹に敗れた。

「一度は勝った、と思った展開。1年の締めくくりとしても、あの大会はぜひ優勝したかったんです」。自分の気持ちの弱さのせいなのか、と思いつめたこともある。
自己否定に向かいそうな金を奮い立たせてくれたのは、元プロゴルファーの父・基昌(キジャン)さんだ。
「あれはただ、丸山さんがお前よりも良いゴルフをした、というだけのこと。次は、お前が人よりも良いプレーをすればよい」。
6打差の首位からスタートした最終日は小田孔明や横尾要の猛追に怯えながらも「今日は、僕もショットが凄く良いから。必ず勝てる」。父の言葉を信じて逃げ切った。

基昌さんが体を壊して、志半ばでプロの道を諦めたのは30歳のときだった。以来、叶えられなかった夢をそっくり息子に託したのだが、その成果は期待していた以上だった。
「夫が実現出来なかった夢を、あの子が次々と叶えていく。本当に、最高の息子です」と、母も涙目。「小さいころからおとなしくて手のかからない子だった」という。
「今でも、家に帰れば母親の私の話をいつまでも聞いてくれて・・・・・・。本当に本当に、優しい子なんです」(曺福順さん)。

そんな孝行息子にはそぐわない。母国でつけられたあだ名は「鬼」。圧倒的な強さを持つ者を、そう呼ぶことがあるという。
やはり韓国出身のプレーヤー、金亨成(キム ヒョンソン)も証言する。「彼は、韓国の石川遼。凄い有名人なんです」。

怖いモノなしだったアマチュア時代。2006年には韓国ツアーでプロを抑えて2勝をあげた。同年のアジア大会では個人、団体ともに金メダル。日本アマでは2006年に連覇を達成した。同年末にプロ転向を果たしたら、母国ツアーはデビュー戦から2連勝。いきなり賞金王に輝いた。

「ですが」と、本人は照れ笑い。「当時は自分でも、思った以上に良い成績が出ただけのこと。僕は元々淡々とプレーするタイプだし“鬼”というのとは、ちょっと合わないかもしれません」と、相変わらず物静かに謙遜したが、確かな手応えもひそかにある。

それは、この1勝を機に、「これからの僕のゴルフ人生が、開けていきそう」という予感。折り紙付きのその実力。日本でひとつ壁を破ったことで、本来の強さが喚起される可能性は十分にある。
母国の英雄、K・Jチョイのように、いずれは米ツアーへの参戦が目標だが、ひとまずあと3年は「日本で勉強したい」という金。
「次は、日本のメジャーで勝ってみたい」。
次週は今季の国内メジャー第2戦「日本ゴルフツアー選手権 Citibank Cup Shishido Hills」でも、台風の目となりそうだ。
  • 優勝を決めた瞬間、駆けだしてきた母・曺福順さんをしっかりと抱き留めて・・・
  • 親子で歓喜の抱擁のあとは、仲間からの手荒い祝福
  • 母・曺福順さんと、元プロゴルファーの父、基昌さんに報いる初優勝・・・!! 「日本人でもない僕に、暖かい声援を送ってくださったギャラリーのみなさんにも感謝します」

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