記事
初シードたちのオフ報告<小田孔明>
同賞の歴史は長く、それまで32回の受賞者にはご近所プロで、小田が尊敬してやまない伊澤利光や手嶋多一らがいる。
賞状とトロフィーと受け取って「伊澤さん、手嶋さんの後に続けた」と、誇らしい気持ちがする一方で、自分への大きな不満も残る。
ファイナルQTランク5位の資格で出場した昨シーズン、賞金ランクは9位につけた。初シード入りこそ果たしたが、目標はそこではなかった。
「初優勝がしたかった」。
JCBクラシック、KBCオーガスタで2位タイ。何度も優勝争いに加わる中でも、もっとも悔いが残るのは10月の日本オープンだった。
3日目まで首位を走りながら、最後に崩れて8位に終わった。
今年、同選手権は地元・福岡の古賀ゴルフ・クラブで行われるだけに、早くも今からリベンジに燃えて、特に思い入れの強い大会となりそうだ。
今季は、昨年の無念を晴らしまずは念願の1勝をあげたら、さらに2勝目と着実にステップアップしていくのが目標でもある。
そのためにこのオフは、昨年に引き続き伊澤と同じトレーニングジムに通い、さらなる飛距離アップと特に昨季痛めた肩周辺の筋力アップに励んでいる。
厳しいトレーニングの合間にはグアム・サイパンでのラウンド合宿。また地元近海で釣りに興じ、特大の鯛を釣り上げるなど、メリハリつけた毎日を送っている。
「鯛のほかにも一杯釣れて大漁でした。ツアーでも、大漁に稼げるように頑張ります!!」と、小田。今年こそ、その名を天下に轟かす!!
小田孔明(おだこうめい)
1978年6月7日生まれ。福岡県田川市出身。
三国志のファンだった父・憲翁さんが、政治・軍事の両面で、千人に一人という非凡な才覚を発揮して、特に「赤壁の戦い」で活躍した諸葛孔明(しょかつこうめい)に憧れて、その名をつけた。
本格的にクラブを握ったのは小1のとき。
憲翁さんが、手嶋多一の父・啓さんが同市で経営する練習場のメンバーで、たまたま一緒に遊びに来ていた小田に、啓さんが目をつけた。
「体格が良いからゴルフをやってみないか」と誘われゴルフの道へ。
東京学館浦安高に特待生で入学。2000年にプロ転向を果たし、2003年にマンシングウェアオープンKSBカップでツアーデビュー。昨年の同大会では1日36ホールで行われた大会最終日の第3ラウンド終了時に首位につけながら、当時15歳の石川遼に敗れているだけに、プロ転向したばかりの石川にもライバル心むき出し。「飛距離でもゴルフでも遼クンには負けたくない」と、闘志を燃やす。身長176センチ、体重95キロ。