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キヤノンオープン 2010

横田真一は家族の支えを力に変えて・・・

大会主催のキヤノンの内田恒二代表取締役社長に着せかけられた白のウィナーズジャケット。「キヤノンのカメラできれいに撮っていただいた優勝写真もまた楽しみにです!」
父親が首位に並んだ前日3日目は会見場まで乗り込んできて、「パパの優勝が見たい」とゲキを飛ばした長男の知己くんだったが最終日は車で40分の都内の自宅から、朝に一度はコースに顔を見せたものの、その瞬間を見届けることなく早々に帰ってしまった。

なんでも「大事なお友達の誕生会」があったそうで、代わりにコースに居残ったお母さんが、電話で優勝を報告しても、「うん、テレビで見たよ。でも今忙しいから」と、素っ気なく切ってしまったという。

ちょうど、誕生パーティの真っ最中だったのだろう。
「どっちが大事なんだか」と、父親はちょっぴり不満顔で、「でも、帰ったら褒めてくれるかな。これでちょっとは尊敬してもらえるかな。そういうのを想像すると、嬉しい」と、たちまちエビス顔に。

横田家は、そんな感じでとにかくあっけらかんと、明るいのがいい。
不遇のときも、いつも前向きに夫を支えた夕子夫人は、新婚当初こそ「頑張れ、頑張れ」と、その尻を叩き続けていた。

昨年は、兄貴分の丸山茂樹の10年ぶりの国内通算V10を、自分のことのように泣いて喜び、「遼くんのサインをもらったと言っては嬉しそうに飾っている。“あなた、悔しくないの!?”と、夫を叱り飛ばしたのも一度や二度ではありませんでした」と夕子さんは苦笑する。

昨年は「5位に入ったら山梨の別荘に露天風呂を作ってもいいよ」と約束することでハッパをかけたものの、その一方で「夫を見ているうちに、だんだん私も欲がなくなってきたんです」と打ち明ける。

今年もまた、シーズンも残すところ数えるほどとなってシード落ちの危機を迎えていたが、夕子さんは言った。
「もう期待してないから。今年もファイナルQTに行けばいいから」。

妻は諦めも半分で言ったのだろうが、その言葉に夫はどれほど救われたことだろう。
「あの言葉が僕の気持ちを楽にしてくれました」と、感謝する。

夫婦2人の記念撮影で報道陣に「キスをして」とせがまれて、夕子さんがユーモアたっぷりに切り返す。
「私たち、そういうのはもうなくて。今は心でつながっていますから!!」。
幾たびの苦難もそうやって夫婦で笑い飛ばしながら、乗り越えてきた。

2006年にシード落ちを喫したあとも、スポンサーがついたり、体を見てくれる人が次々と現れたり、良縁にも恵まれた。
特に、チャレンジトーナメントの「エバーライフカップチャレンジ」は、2007年の優勝を機に、キャップに主催の同社の高級サプリメントの名前をつけて戦うようになり、また当時は手術まで考えていたという手首痛も「“皇潤”を飲むようになって、本当に治ってしまったんですよ!」などと、優勝会見でも恩人への心配りを欠かさない。

そしてギャラリーへのお礼も。
最終日は各ホールを真っ黒に埋め尽くすほどの、1万3698人の大ギャラリーも、「遼くんの応援に来られたはずなのに。“横田頑張れ!”と僕にまで声援を送ってくださって。良い意味で勘違いをして、力に変えさせていただきました」と、何度も何度も頭を下げた。

気遣いばかりが先に来て、優しすぎる面はプロゴルファーとしては少々物足りないかもしれないが、人として、また「パパとして」も「最高です」と、夕子夫人が絶賛するゆえんだ。

もちろん、これで別荘の露天風呂も建設の許可が下りた。
「でもパパは、そうやって手に入れるまでが楽しくて。完成してもどうせまた2、3ヶ月で興味をなくしてしまうんですよ」と、夕子さん。
しょうがないな、と言う笑みで、「でも、いいです。許します」。それもまた、確かな愛の形だ。

  • 優勝副賞のキヤノン製品100万円分相当にもご満悦でいっそうの感謝の言葉を
  • 不遇の時代にお世話になった恩人の名前を挙げ出すと、止まらなくなった優勝スピーチ
  • 何度も何度も深々と頭を下げた元選手会長・・・!!
  • ボランティアのみなさんにも、心からの感謝の気持ちを

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