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東建ホームメイトカップ 2010
チャンピオン第1号は今年も小田孔明
これでツアー通算4勝は、いずれも連覇という事実。
前日3日目のうちに、報道陣にむけて自ら打診しておいたあだ名を改めて、したり顔で繰り返す。
「これからは、“ミスター連覇”と呼んでください!」。
ひとことで、言うはたやすい。しかし、それはかく言う本人にも苦しい道のりだった。単独首位でスタートした最終日は、得意のアイアンショットが乱れに乱れた。
「本当にパラパラで。ゴルフ的にも一番最悪の日。攻めたいのに、攻められない。弱気になって、ピンをショートすることが多かった。もがきながらパーを拾った」。
大混戦のゲーム展開に、初めにあった1打リードもはかなく消えて、改めて胸に言い聞かす。
「去年勝った人間が、負けるわけにはいかない。リードされても絶対に追いつく」。
まずは17番で、ひとつ目の有言実行。1.5メートルのチャンスを、震える手で決めた。土壇場のバーディで、広田悟を捉えた。18番のパーセーブで丸山大輔も交えて3人のプレーオフ。
18番ホールの繰り返しによるサドンデスは、2ホール目にまず広田が池ポチャで脱落すると、そこからいよいよ丸山との激しい一騎打ちとなった。
「丸山さんは、ボギーを打つ人じゃない。絶対に、バーディで決着をつける」。
気合いを入れ直したものの、うまくチャンスにつけられず、そして丸山は予想どおりにしぶとく、「いったい、いつまで続くのか」と、ふいに沸いた弱気の虫。懸命にふるい落とした。
「せっかくこの場に立てているのに、折れたら負けだ」。
4ホール目の第2打は、いったん握ったピッチングウェッジを持ち替えた。アプローチウェッジで、仕切り直しの150ヤードは、計算どおりのピン手前5メートル。
バーディトライを前に目を閉じた。ひとつ大きな深呼吸。
「最後はもう、本当に気持ちだけだった」。スライスフックを読み切って、膝からその場に崩れ落ちた。
このオフに、ますます鍛え上げてきた屈強な肉体は、会う人会う人に「格闘家」に間違えられるほど。しかし、このときばかりは小さく体を折り曲げて、頭を抱えたまましばらく動けない。涙ながらに訴えた。「めちゃめちゃ嬉しいのと、しんどいのと。足に来ていた。つらかった。自分でも、本当によく耐えた」。
大会の2日目にあたる16日(金)に、2歳の誕生日を迎えた長男・龍亮(たつあき)くんにも約束していた勝利だ。「お父さん、優勝したよ!」と、テレビカメラにむかって泣き笑いのVサインを差し出した。
やると決めたことを、あえて口にするのは自らにプレッシャーをかけるため。「言ったことはやらないと、口先だけの人間だと思われる」。そうやって自分を追い込み、やるしかない状況にして、ひとつひとつ夢を実現させていくのが小田のやり方だ。
しかしそれでも昨年は、取り逃がした。開幕前から公言していた賞金王獲りを、18歳に奪われた。さらに池田勇太も加わって、若い2人に封じ込まれた。賞金ランクは3位に甘んじた。
昨年も開幕戦Vで、一度はその気になったが結局、終盤まで勝ち星に見放された。
手をこまねいているうちに、石川と池田は年間4勝をあげて、あっという間に置いて行かれた。
「2人は常にアグレッシブ。俺が見ていても、凄く楽しい」。
だが自分はと言えば、「勝てるときに勝てないと、いったいいつ勝てるんだろう、とか思ってしまう」。気持ちが足りなかったと思い知った。
2010年こそ、そのリベンジだ。
石川と、池田とまわった今回の予選ラウンド2日間。
「遼も勇太も、先週までアメリカにいすぎたせいか、体調が悪そうだった。だけど万全の状態になれば、あの2人はまた必ず来る」。その前に、引き離せるだけ引き離す。
「2人が万全になる前に、僕は2、3勝はかましておく」と、ぶち上げた。
「石川遼だけじゃなく、池田勇太だけじゃなく、小田孔明も応援してください」と、満員の観衆に呼びかけた。
「年間3勝以上」を目標に、次週の「つるやオープン」では、さっそく2週連続Vを狙っていく。カシオワールドオープンと、この東建ホームメイトカップと。通算4勝をあげながら、まだ2種類しかない優勝カップ。
「連覇は連覇で凄いことだと思うけど。やっぱり他のカップも欲しいから」。
今年こそこのままアクセル全開で、新時代を切り拓いてみせる。
※開幕戦での連覇達成は・・・
青木功の中日クラウンズ(1973年)・日本プロ東西対抗競技(1974年)と、ベン・アルダの総武オープン(1976年)・ダンロップ国際オープン(1977年)以来、小田孔明が史上3人目(1973年のツアー制度施行後)の快挙となりました。