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みんな明確な夢を持とう! 小林正則③
朝から冗談まじりに、「人ごみイップス!」と自らを笑い飛ばしていたのは、今回、過去最多の320名の聴衆の前に立つからだ。「試合よりも緊張するー」と言いながらも、ユーモアを交えての堂々たる話っぷりだった。
まず始めに、プロがどんな活躍をしているかを子供たちに知ってもらうために、今年初優勝を飾った『とおとうみ浜松オープン』最終日の映像を披露。あの石川遼とのプレーオフの様子が流れると、子供たちは前のめりになって画面を一心に見つめる。そして、小林が2ホール目にバーディを奪って優勝した瞬間、「うぉーすごーい!」と歓声が上がると、小林は少し照れながらバンザイで応えた。
小林は自身の歴史をふりかえりながら、ゆっくり語り始めた。
1976年2月14日、バレンタインデーの日に千葉県で生まれた。ゴルフを始めたのが小学校5年生(11歳)の時。
それまでは小学校2年生からサッカーを始め、野球もやっていたが、病気により医師から激しい運動を止められ、大好きなサッカーを諦めた。そして、ゴルフ好きな叔父の影響と、家の近くに大きい練習場があったのがきっかけで、ゴルフに転向した。
中学校にはゴルフ部がなかったけれども、自分で練習を続けていたところ、中学2年の時に関東大会で2位になり、その成績で本格的にゴルフの道に進むことになった。東京学館浦安高校のゴルフ部時代は、ゴルフというと個人スポーツと思われるが、団体戦を初めて経験し、チームの結束力や友達の和を学び、その重要性を子供たちに伝えた。
小林が学生時代、特に影響を受けた監督が2人いる。
1人は、高校時代のゴルフ部の監督の鍋谷先生。とにかく熱血で、いろいろ怒られもしたが、自分のゴルフをほめて伸ばしてくれた。何かあるごとに思い出すのは、「日々の努力、明日への栄光」という言葉。
そしてゴルフの名門、日本大学へ進学した小林は、当時向かうところ敵なしの、片山晋呉を始めとする錚々たるメンバーを見て自信を失いかけたが、鍋谷先生のあの言葉を胸に練習を続けた。ようやく3年生になってレギュラーの座を勝ち取り、翌年、日本選手権という団体戦の25連覇をかけた試合に、自分が貢献できた。その夜、尊敬して止まない竹田監督と選手全員で輪になり、夜空の下で校歌を歌ったのを今でも鮮明に覚えている。
その後、アメリカで約3ヶ月の武者修行をし、帰国後プロテストに一発合格。
念願のプロとしての道をスタートさせたが、まだまだ茨の道は続いた。
29〜30歳の頃、調子が悪くなり、そこから4年間まったく成績不振で、稼げない時代もあった。
「でもゴルフをやめたいと思ったことは1度もない。ゴルフが好きだから。」
必ず見返してやるという強い気持ちを持ち続けた小林は、ついに35歳にして『とおとうみ浜松オープン』で、念願のツアー初優勝を遂げた。「あの時、本当にあきらめないでよかった」としみじみ語った。
「今日のテーマは“夢を持とう”だけど、夢は明確に持つことが大事。こうなりたいと具体的に描いた方が、そこに向かってまっすぐ進めるよ。ところでみんなの夢は何?」と問いかけると、
「柔道でオリンピックに出たい!」
「千葉ロッテマリーンズに入団し、西岡選手を超える活躍をし、もう1度日本一の座を勝ち取りたい!」
「パティシエになりたい!」等・・・
具体的な夢を発表し出した。
ちなみに、小林は小学校6年生の卒業文集に、以下の夢を書いている。
1.日本一のプロゴルファーになる
2.お金を稼ぐ(1億円)
3.ツアー優勝
そして小林のこれから先のかなえたい目標は、もう1回ツアーで優勝すること。
夢は、4大メジャーに出て優勝すること。
改めて子供たちに向かって、「夢を持つというのはみんなの気持ちを高めてくれるから必要なこと。どうせかなわないとかつまんないことは考えない。自分はこうなりたいと頭に描き、絶対にかなえてやるという強い気持ちで夢に向かって進んでいってほしい」と、エールを送った。
最後に、子供たちからお礼の言葉と心温まる歌のプレゼントがあり、小林が一生懸命子供たちに伝えたかったことは、みんなの心にしっかり届いていたようだ。