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ゴルフ番記者が語る、島田・前会長の思い出

島田前会長の「いつもニコニコと柔らかな笑顔と謙虚な物腰にもファンが多かった」と合田氏
今回の受賞理由は島田・前会長が遺した数々の功績はもちろんだが、それ以上に高く評価されたのはその人柄といってもいいかもしれない。
選手時代を含め、公私ともに35年以上のもの付き合いがあったスポーツニッポン新聞社の合田重彦氏は「あれだけ他人に気を遣えるプロゴルファーは、いまだかつて出会ったことがない」と、振り返る。

真っ先に思い出すのはトーナメント会場で、他の年若い記者にさえ「よろしくお願いします」と、深々と頭を下げながら歩いていた姿だ。
「誰よりも腰の低い人だった。島田さんのためなら力になろうという人間が多くいた」。
兵庫県の宝塚ゴルフ倶楽部を拠点にしていたこともあり「関西のゴルフ記者たちにとってはなおさら縁が深く、印象深い方だった」と、合田氏は言う。

膵臓にガンが見つかったのは、いまからちょうど1年前。
そのとき、たまたま米シアトルに旅行中だった合田氏は、前会長から国際電話を受けた。

「合田さんだけにお知らせしておきたいことがあるんです」と何気ない口調で切り出されて、冗談混じりに「いまバカンス中なんで、手短かにお願いします」と応えたことを、すぐに後悔した。

ガンの転移は実に17箇所にも及び、余命半年との宣告を受けたと告げられて、絶句した。
「でも頑張って治しますから。治ったら、またぜひ僕に取材をしてやってください」と、いつもの謙虚な口調で請われて声にならない声で承諾したことを、今でも思い出す。

その10ヶ月後に、帰らぬ人となった。
「もう、かなり悪かったのだと分ってはいても、やっぱり亡くなられたときは僕にとっても相当のショックでした。かけがえのない大親友を亡くしてしまったような寂しさ…。最後の原稿が、追悼文になってしまったのが悔しい」。

今年、52回を迎えた関西スポーツ賞は、ゴルフ界なら過去に杉原輝雄や谷口徹などが選ばれたがいずれも特別賞での受賞だった。
「功労賞での選出は、ゴルフでは島田さんが初」と合田氏。
それこそ人生の最後の最後まで発展に尽くした島田・前会長だが、地元関西でも若手の育成に全力を注ぐなど、その影響力は計りしれない。
関西運動記者クラブでは、満場一致で前会長の受賞を決定されたということだ。

  • 前会長(右)がゴルフ界の発展に尽力した10年間が、石川遼(左)というスターを生んだのは間違いない

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