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島田名誉会長「お別れの会」 東京会場

27日(火)に兵庫県宝塚市で行われた社団法人 日本ゴルフツアー機構(JGTO)の名誉会長の島田幸作を偲ぶ『お別れの会』が、30日(金)に東京都内のホテルでも行われた。

関西会場に引き続き、ゴルフ界に多大な貢献を果たした故人に、献花を行うため550人が詰め掛けた。

献花に訪れた方々は、プロゴルファーとして15勝を挙げた活躍以上に、人柄の良さや周りへの気遣いを口にした。
「島田さんとの思い出は沢山蘇ってくる。口は悪いけれど愛情にあふれ、とても可愛がってもらった。」と、尾崎直道もその一人だ。

東京会場では1968年の『日本プロゴルフ選手権』で優勝争いを繰り広げた他にも、公私共に親交が深かった青木功が、故人の大きな遺影の前で弔辞を読み上げた。
「幸ちゃんとはよくケンカしたけど、ウマが合って一緒に練習したり酒を飲んだりした。幸ちゃんの努力がJGTOの10年を支えた。入院前に頼まれたJGTO特別顧問をしっかりやるから安心して欲しい。」

途中で涙をこらえ切れずに、言葉をふるわせゆっくりと語りかけた。
「みんなに愛されたことは誇りだよ。幸ちゃん、ゆっくり休んでくれ。」

また、尾崎将司は「一緒にやってきた仲間。一番の思い出は、僕がまだプロ野球選手で宝塚ゴルフ倶楽部に行った時、下半身でボールを打つ凄い選手がいるなと感心した。それが島田幸作だった。僕の優勝を楽しみにしていて、『早く勝ってくれよ。メシをご馳走するよ。』と言ってくれていたが、その約束が果たせずに残念。」と手を合わす。
懇談会場に飾られた故人の写真を感慨深げに眺めては、「こんな時代もあったなぁ・・・」と懐かしんだ。

息を引き取ったのは、11月3日。
故人は長年ゴルフ界の新たなスター誕生を待望して止まなかっただけに、それが石川遼のプロ転向後ツアー初優勝を飾った翌日というのは、何か運命的なものを感じさせる。

その事実を石川が知ったのは1週間してからだと言う。
「ご容態がそこまでよくなかったのは知らなかったので、突然の事でびっくりしました。大会会場でお会いした時には『体は大丈夫かな?楽しんでゴルフをするように』といつも声掛けて頂きました。自分がプロテストを受けないで、ツアーの試合にプロとして出場できているのは、島田さんがこのような制度を作って頂いたおかげなのでとても感謝しています。」

故人は、ジャパンゴルフツアーへの門戸を広げるために尽力した。
JGTO設立以降、社団法人日本プロゴルフ協会(PGA)のプロ資格を保持しなくても、ツアーの出場資格を保持しているアマチュアがプロ宣言をするとツアーに参戦できる制度を確立させた。ゴルフ界の将来を見据え、ツアー改革に着手した始まりだった。

石川の良い知らせは他にもある。
それは、先日出場が決まったマスターズだ。きっとマスターズの出場の知らせを聞いたら喜んでくれたはず。
そう思うと感極まり、石川は大粒の涙をこぼさずにはいられなかった。

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