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日本オープンゴルフ選手権競技 2007
小田孔明「明日は日本の天下を獲る」
1番でラフから4メートルのバーディを奪うと、660ヤードの3番パー5番から一気に3連続。リーダーボードのてっぺんに居座ると、556ヤードの最終18番パー5で2オン成功。
258ヤードの第2打は、得意の2番アイアンでグリーンを捉えた。
午後から硬さを増したグリーンに弾かれたが、ピン奥20メートルでどうにか止まった。
イーグルパットは3メートルもオーバーしたが、返しをねじ込み通算5アンダー。
小技も絶好調。特に、スピードのあるグリーンに対応するために、普段のトーナメントより毎日1時間早くコースに来て、球を転がす成果が出た。
3日間連続のアンダーパーで、いよいよ単独首位に躍り出た。
先月のトーナメントで左肩を痛めた。特に、地面の硬い今週のコースでは、パンチショットが持ち味の小田にはかなりつらい。特にラフから打つ衝撃は、左手の指先まで電気が突き抜けることもあるが、そんなことに構ってはいられない。
なにしろ、今季何度も逃してきたツアー初優勝のビッグチャンスがこの日本一決定戦なのだ。
初Vが日本オープンという日本人選手は、やはりここ相模原ゴルフクラブで行われた80年の菊地勝司と81年大会の羽川豊、そして、小田が尊敬してやまない伊澤利光(95年)の3人しかいない。
また、シード権を持たない日本人選手が優勝した例は、その菊地と伊澤の2人しか例がない。
史上まれに見る快挙達成まで、残るは1日。
2打差の2位に賞金王がいる。2サムでまわる最終日最終組の直接対決には怖さもあるが、「僕は挑戦者。片山さんをやっつけるつもりでやる」と、ひるまない。
「勉強ができる子になるように」と、この名前をつけてくれた父・憲翁さん。しかし、息子が「プロになる」と言った瞬間から一転、「勉強はしなくていい」。
かわりに腹筋、背筋、腕立て、スクワット、鉄アレイ・・・。各300回の「地獄」のノルマを課した。少しでもサボると、愛の鉄拳が飛んできた。
いまも屈強な体力はそのおかげ、と感謝する。
「今週は、ドライバーで普通に打てば、常に300ヤードは超えている」というスイングも、レッスン書と首っ引きで憲翁さんが叩き込んでくれたものだ。
息子の活躍を何より楽しみにしてくれている父が、大怪我を負ったのは今年の夏。
祖父の自宅の屋根のペンキを塗っていて転落した。
直後に5分間の心肺停止。頭蓋骨骨折の重症も一命を取りとめて、先週ようやく退院し、いまはリハビリに励む毎日だ。
孔明よろしく「明日は日本の天下を獲る」と小田。
その脳裏には、父の喜ぶ顔がある。
小田孔明(おだこうめい)
1978年6月7日生まれ。福岡県田川市出身。
三国志のファンだった父・憲翁さんが、政治・軍事の両面で、千人に一人という非凡な才覚を発揮して、特に「赤壁の戦い」で活躍した諸葛孔明(しょかつこうめい)に憧れて、その名をつけた。
本格的にクラブを握ったのは小1のとき。
憲翁さんが、手嶋多一の父・啓さんが同市で経営する練習場のメンバーで、たまたま一緒に遊びに来ていた小田に、啓さんが目をつけた。
「体格が良いからゴルフをやってみないか」と誘われて、ゴルフの道へ。
東京学館浦安高に特待生で入学。2000年にプロ転向を果たし、2003年にマンシングウェアオープンKSBカップでツアーデビュー。
昨年のファイナルQTランク5位の資格で参戦した今年、すでに獲得賞金は4500万円強を稼いで、初のシード権を手中に。身長176センチ、体重95キロ。