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長嶋茂雄 INVITATIONAL セガサミーカップゴルフトーナメント 2007
小田孔明は、谷口と3打差の2位タイに
迎えた最終18番は、その時点で首位と2打差。
「せめて1打差にしておきたい」その一心で残り253ヤードから、スプーンで乗せたイーグルパットは手前から14メートル。「これを入れて、谷口さんにプレッシャーを与えたい」。
幸い、のぼりのフックは「得意とするライン」。
絶対に入れよう、と力が入った。
「インパクトでパンチが入って」カップを2メートル弱もオーバー。
返しのバーディパットも外して「もったいない」と悔しがった。
さらにそのあと、後ろの最終組の谷口がバーディを決めて、さらに3打差に広がった。
それだけに、なおさら「最後は無念」だったが、気持ちは一向に折れていない。
今年4月の中日クラウンズで3位。
マンシングウェアオープンKSBカップで4位タイ。
6月のJCBクラシックで2位タイ。
優勝争いにもすっかり慣れた。
昨年までは「最終組のひとつ前で回るだけで、プレッシャーをものすごく感じていた」。
しかし「今ではどんな状況でもプレーに集中できる」と言い切れるのは、自分のゴルフに自信があるからこそ。
むしろ、谷口への対抗心が次から次へと溢れ出てくる。
「3打差はきついけど、守ってる場合じゃない。明日は攻めてプレッシャーをかけていく」。
そうひとたび口に出したら、もう止まらない。
「谷口さんはショットメーカー。僕は、その内側につけていくつもりでやる」。
「3パット覚悟で狙っていきたい」。
「そして、谷口さんを止めたい」。
谷口は、特に強気の発言で知られるが、それについて「自分に、自信を持たせるためではないか」と分析したが、かく言う小田自身も同じ手で、最終日への士気を高めているようだった。
小田孔明(おだこうめい)
三国志のファンだった父・憲翁さんが、特に「赤壁の戦い」で活躍した諸葛孔明(しょかつこうめい)に憧れて、その名を取った。
「昔は意味がわからなかったけれど。背景を知った今は少し重い反面、すぐに覚えてもらえるからこの名前が気に入っている」という28歳。
1978年6月7日生まれ。福岡県飯塚市出身。
ゴルフを始めたのは小1のときだった。
憲翁さんが、手嶋多一の父・啓さんが経営する練習場のメンバーだった。一緒に遊びに来ていた小田に、啓さんが目をつけた。
「体格が良いからゴルフをやってみないか、と言われて」。
そのころ、手嶋はすでに福岡の怪童と呼ばれており、九州ではその名を知らない人はいなかったという。
「どうせやるなら多一さんのように、全国的に有名な選手になりたい」と、小田がプロ入りを意識したのは小5のとき。
東京学館浦安高に特待生で入学。2000年にプロ転向を果たし、2003年にマンシングウェアオープンKSBカップでツアーデビュー。
昨年のファイナルQTランク5位の資格で参戦した今年、10戦目にして獲得賞金は2400万円を超えて、初のシード権をほぼ手中に入れている。
身長176センチ、体重95キロ。