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日本プロゴルフ選手権大会 2006
近藤智弘、待ちに待った初優勝がプロ日本一のビッグタイトル
大会主催の日本プロゴルフ協会、松井功・会長に着せ掛けられた鮮やかなブルーのチャンピオンブレザーは、近藤には大きすぎた。
身長167センチ、体重60キロ。
デビュー当時、「背の低さは、僕のセールスポイント」と、言ってはばからなかった。
小柄な体を目いっぱい使って、繰り出すキレのあるスイング。大胆なプレー。
「小さいからこそ、豪快なゴルフが際立つ。アピールできる部分がある」。
昨年からあえてタイトにしぼったウェアを身にまとい、細身の体を強調させた。
その一方で、「お前は小さいから無理、と言われたこともあって。最近じゃ、周りもどんどん飛距離が伸びて、コースも長くなり、年々体の負担も大きくなっていた」。
昨年は飛距離を求めて、45インチのドライバーを握ったが、その分リスクも大きくなった。フェアウェーキープ率は落ち込み、ショットの安定性を欠いた。
「もう少し体が大きければ・・・」との思いがかすめたこともある。
しかし、嘆いていても生まれ持ったものは変えられない。
「へこんでいても仕方ない。持っているもので戦うしかない。それに、小さな選手が大きな選手に勝てば、かえってインパクトがあるから」。
逆転の発想で、コンプレックスを克服してきた「超・前向き人間」。
今季は44.25インチのドライバーにして、コントロール重視のゴルフを心がけてきた。
2003年から踏み切った、ドローからフェードボールのスイング改造で安定性もさらに増した。
もともと定評のあったショートゲームにもますます磨きをかけた。
そうしてつかんだ初優勝は、5年シードのプロ日本一のタイトル。
「やっと・・・」というのが本音だ。
2004年のJCBクラシック仙台。神山隆志、中嶋常幸とのプレーオフ。その2ホール目に1.5メートルのバーディパットを外した。
やはりS・K・ホとのプレーオフ。2ホール目に1.5メートルのパットをミスしたのは、同じ年の日本ゴルフツアー選手権宍戸ヒルズカップだった。
過去に2位5回。ほかにも、あと一歩でつかみそこねた勝利は数え切れない。
アマ時代は「星野か、僕が勝つか、というくらい」。多くのタイトルを手に入れて2000年に鳴り物入りでデビュー。「いつ勝ってもおかしくない」と言われるほどの才能を持ちながら、同期の星野、矢野東にも先を越された。
「何やってんだ。おまえもいい加減、早く勝て」そう自らを叱咤激励しながら気がついた。
「勝ちたい、という気持ちが人よりも弱いのか。勝てないのは技術じゃなく、気持ちの問題ではないのか・・・」。
だから、この日最終日は最後まで「絶対に負けない」と、心に言い聞かせていたという。
本戦の18番で、2メートルのパーパットを外して友利勝良とのプレーオフ。
ベテランを前にしても、強い気持ちは消えなかった。
1ホール目の第3打は、奥からのアプローチ。ほぼ同じ位置から打った友利を参考にして、ピンそばにピタリ。先にパーセーブして友利を待った。
ここにたどり着くまでに約7年。
「悔しい思いをたくさんして、足りないものも見つかって、勝てない時間に成長することができたから」。
ひとつ壁を破った勢いで、また次々と勝てる気もしている。
「今回はけしてまぐれじゃなく、自信を持ってやれたから」。
焦った時期もあったが、確かな栄冠を手にしたいまは、うんと時間をかけた甲斐があったと思っている。
※初優勝が日本プロという選手は、90年の加瀬秀樹、94年の合田洋につぐ3人目です(但:ツアー制度施行後)