Tournament article
ゴルフ日本シリーズJTカップ 2011
2011年の最強選手は2年連続で藤田寛之
漠然とそんな絵を描きながらも「去年は僕がプレッシャーをかけられたから。今度は僕が谷口さんをドキドキさせよう」と、そんな心構えで昨年に引き続いて今年もまたこの最終戦で実現させた40代2人の激しい一騎打ちは、気付いたら自分がまた頂点に立っていた。
「複雑です」と、藤田は言った。本戦の18番。先に通算10アンダーで上がった藤田はグリーンサイドで見ていた。1打リードの谷口がグリーンを捉えた瞬間に、2パットのパーで谷口の勝ちと確信した。「3パットしてくれ、とも思わなかった」。
だから目の前で、谷口が短いパーパットを外して逆に藤田は戸惑った。臨んだプレーオフ2ホールもどこか現実味がなくて、「まだ自分が勝ったとは思えない」。決着から1時間以上が過ぎてもまだ、ぼんやりとそんなことを考えた。
「今日の自分は神懸かっていたと思う」。勝機は完全に谷口に向いていたはずだった。「谷口さんも、きっと何で自分が負けたのか。今も分かっていないんじゃないでしょうか」。自分でも、なぜ勝てたのか分からない。
「ショットに関しては、問題山積み。今日もけっして優勝できるような内容じゃない」。17番だってそうだ。ティショットを右の土手に打ち込みながら6番に続いてまたしても、15メートルの長いイーグルパットが決まったり、「なぜか今日は常に自分に風が吹いていた」。
あとから関係者に「18番のティショットは、すべて半径1メートル以内にあった」と、感心された。プレーオフの舞台にもなった屈指のパー3は「絶対に右に外したくはない。21度のユーティリティを持って、ピンを向いて、出球だけ気にして、それだけ考えて打ったら、全部同じところになりました」と、3回とも判で押したようにピン左5〜6メートルを捉えた。いよいよ谷口のボギーを誘った。師匠の教えを守ったたまものだ。
初のタイトル獲りにむけ、悲壮な覚悟で迎えた今年10月の日本オープンで初日を9位で出ながら2日目に79を打って予選落ち。「屈辱的だった」。すぐに芹澤信雄のもとに駆けつけた。「狭いコースに備えて極端にフェードを意識して打っていた」。芹澤は真逆のこたえを出した。「ドローを打て、と。だから今日も最後は相当にドローしてるはずです」。
師匠の教えで、たちまち取り戻した持ち味は、正確無比なショットで大会史上15年ぶり5人目の連覇をみごと仕留めてなお、「今日の優勝は、奇跡に近い」と、言い張った。
男泣きした昨年とは一転、2年連続のウィニングパットも「去年の100分の1くらいのプレッシャーしかなかった」と、軽く拳を握っただけで、淡々としたものだった。
ツアー通算11勝目は、またしてもこだわりの日本タイトルも、今回はまるで拾いもののように本人は言ってきかないが、「もう歳なのに、藤田は本当に頑張っている」と、べた褒めするのも芹澤だ。
芹澤は弟子にいつもこう言ってきかせるという。「お前の小技があれば賞金王だって狙える。日本で一番を目指せ」。しかし藤田は首を振る。「もっと飛ばしたい。真っ直ぐに行かせたい。メジャーでも、通用するショットが打ちたい」と、たゆまぬ鍛錬で今季は実際に20ヤードも飛距離を伸ばして、「あいつは本当に偉いヤツだ」と師匠さえ、その底なしの探求心にひれ伏すほど。
「自分でも、なんでそこまで頑張れるのか分からない」。42歳を迎えて本人もすでに限界は感じている。「これ以上アクセルを踏んだら危険。これがマックス。現状維持でも精一杯」。そう口では言いながらもまだこの人は、懲りていない。
今年のツアー最終戦は3日目の中止で54ホールの短縮競技となり、加算賞金は75%(※)の3000万円でも、生涯獲得賞金は史上8人目の10億円を突破して「新しいトレーニング器具でも買います」とは、なんともはや・・・・・・。
「もう、自分でもいっぱいいっぱいなんですけど。精一杯走って、いまにも足がつりそうなんですけど。みなさんの声援で、まだまだ走れると思うんで。これからも応援よろしくお願いします」と、年の最後に満員の観衆にも深々と頭を下げる始末だ。
※今大会は54ホールの短縮競技となり、賞金ランキングの加算は75%となりましたが主催者のご厚意により、選手たちには全額が支払われます。