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日本プロゴルフ選手権大会 日清カップヌードル杯 2014
2014年のプロ日本一は45歳のベテラン【インタビュー動画】
「優勝を見に来て」などとは口が裂けても言わない九州男児だ。泰斗くんを連れて、内緒で早朝6時に福岡の自宅を出た妻の直子さんは、ちょうど10番ホールで夫のプレーに追いついた。
「10番て・・・。一番悪いところじゃないですか!」と苦笑した夫。単独首位で出た最終日は、前半こそリードを守っていたが、奥のラフからダフってボギーにした8番あたりからやにわに雲行きが怪しくなった。
10番では1メートル半のバーディチャンスを3パット。「いま一番勢いのある孔明くんに抜かれた」。もはや再逆転はないと思った。「心がくじけそうになっていた」。
しかしメジャーの重圧からその孔明が14番からの3連続ボギーで自滅。再びチャンスが巡ってきた。対して手嶋はその14番で、奥から「凄い下り」の6メートルのバーディパット。「うわあっと思った」。動揺も、左からフックラインが「入ってくれた」と、思わず出たガッツポーズも、この選手にしては珍しい。
孔明と、李と再び並んで迎えた終盤に見せたベテランの、堅実な粘り勝ちだった。
「こんな難しいコースで、まさか毎日アンダーパーで回れるとは思わず。ゴルフ人生で一番、充実していた4日間」。同組の李が言った。「手嶋さんは一緒に回りながらも僕の緊張が解けるように、声をかけてくれたり励ましてくれたりした」。フェアプレー精神の中にも根っからの勝負魂をひらめかせ、「粘って粘って、やっと勝てた」と、技と経験で難コースにも打ち克った。
昨年は原因不明の体重7キロ減に、飛距離も20ヤードも落ちて、冗談めかして口にした「引退」の二文字。年齢とともに、限界すらちらつきはじめて、賞金ランクは70位で18年連続のシード権こそ死守したが、「優勝はもう7年もない。子どもに優勝カップを見せるのも、年々難しくなってくる」。そんな妻の不安は、本人にはなおさらで、昨年は10試合で予選落ちに、「金曜日に家に帰れば子どもは喜ぶけれど、嫁は怒るし、日曜日に帰れば嫁は喜ぶけど、子どもは怒るし。複雑でした」。
「子どもと遊んでくれるのは嬉しいのですが、本当に練習しない人なので。心配でした」とは妻。「それでまた、嫁に怒られて」と夫は済まなそうに、「でも、それが長年の主人のペースなんですね」と妻の理解は深かった。
何より自分の感覚を大事にする職人肌はプロ21年目にして、これまで一度も誰かに教えを求めたことがない。以前、言っていた。「自分のことを、他人に聞いて分かるわけがない」。30代前半からホールアウト後の練習もやめてしまったのは「もともと神経質で、練習すると、考えすぎて、ゲームに集中できなくなるから」。手嶋は上がって5分でコースにいないとの評判は大げさではない。
12年間も愛用しているという3番ウッド。5番ウッドは17年目に突入した。「しかも、スチール(シャフト)を入れているプロは世界でも、多分そういない」。次々と道具が開発されて、次々と若手が台頭する中で、我が道を頑固に貫くベテランがもぎ取ったプロ日本一の称号だ。
2001年の日本オープンに続く、2度目の日本タイトルで家族にも報いた。この2大会を制した選手は史上20人目も「前は30代前半。あのときは勢いもあったけど、今はヒヤヒヤのゴルフですから」と、葛藤の中で勝ち取ったことにはまた格別な思いがある。「孔明に競り勝てたということは、まだまだ一線で出来るのかな」と、自信を取り戻すにも大きな1勝。45歳にして初のプロ日本一は、大会の最年長記録で5年の複数年シードを手にして「それが何より嬉しいです。そのままシニアまで行けますね」。喜びの言葉にも、ベテランならではの含蓄がある。
この日はスタート前に、大会主催の日本プロゴルフ協会の倉本昌弘・会長に言われた。「日本プロは、これがお前の最後のチャンス」。「本当に、これが最初で最後だと思います」と、ニコニコ認めている場合じゃない。41歳で授かった長男の成長はまだまだこれから。「大変な世界だから」と消極的にならざるをえない父親を横目に、近頃ゴルフに興味津々の息子。泰斗くんのためにも、まだまだ枯れてる場合じゃない。