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日本オープンゴルフ選手権競技 1999
開催コース『小樽カントリー倶楽部』の歴史
以前からゴルフに親しんでいた佐藤氏が、北海道の大地にはじめて足を踏み入れたとき、「こんな広大な土地に、どうしてゴルフリンクスがひとつもないのだろう」と残念に思ったそうです。
そこで、知人にその思いを伝えたところ、「石狩湾に面した銭函(ぜにばこ)海岸に沿った砂丘に、ちょうどいい場所がある」と教えられました。佐藤氏が折りを見て、教えられた場所に下見に行くと、そこには美しい湾を望む砂丘と、放牛の群れ、そして、ゴルフにふさわしい野芝が自生していたそうです。
早速、佐藤氏はヒマを見つけてはその地に通い、ウッドで思いきり球を打ったり、アイアンで小川越えなどして楽しむようになりました。そのうち、様子を見ていた人達も仲間に入って、佐藤氏のレッスンによるゴルフ教室が開かれるようになりました。
技量が高まっていくにつれ、愛好者たちの中から「ぜひ、この地にゴルフ場を」という声があがるようになり、はじめは3ホールきりの北海道初のゴルフコースが誕生したのです。
その後、ホール数は、6ホール、9ホールと次第に増設され、昭和48年には日本ゴルフ界草創期のプロ、安田幸吉さんの手で、いまの18ホールが作られたのです。 小樽カントリー倶楽部は、いまも“銭函コース”と呼ばれ親しまれると共に、茫洋たるリンクスコースが、スコットランドのセントアンドリュースにも匹敵する、との評価を受けています。
ここで日本オープンゴルフ選手権が開かれるのは、中嶋常幸がタイトルを獲得した平成2年以来9年ぶり、2度目のこと。
昭和53年には、日本プロゴルフ選手権(優勝・小林富士夫)も開催されています。